苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合

カカシ注:2024年11月現在、この記事を書いた当時は私は知らなかったのだが、ブリアナ・ウーは女性ではなく、女性自認の男性でいわゆるトランスセクシュアルの人であることをずっと後になってしった。彼は自分がMtFであることを20年も公開していなかった。本人が話している動画などを見れば彼が男なのは一目瞭然であったが、私は紙面上でしか知らなかったので女性だと思っていた。

=========================== ちょっと前、米国オレゴン州ポートランド市において、女性から暴行されたと無実の罪を着せられた男性たちを守るという目的で「ヒム・ツー」という集会が行われたが、ポートランド市といえば左翼ファシスト暴力団のアンティファの拠点。案の定黒装束に覆面姿の共産主義ファシストどもが手に手に凶器を持って集会を妨害しようと集まってきた。集まった男性たちは殴る蹴るの暴行を受けたが逮捕されたのはたったの四人。ミーツー運動で女性を信じろとか言い張る割には、男性の人権には完全に無関心な左翼どもだ。

さて、同じミーツー運動関連の話で、ゲイマーに宣戦布告したフェミニストの話をしたい。このフェミニストの名前はブリアナ・ウー。彼女は何年か前にコンピュータゲーム産業は女性を性対象にしているとしてやたらいちゃもんを付けてきたバリバリ左翼フェミニスト。彼女自身もゲーム開発者なんだそうだが、とにかくゲイマーたちからは嫌われてる女だ。当時はゲイマーから脅迫を受けたとか何とか言ってるが、左翼のいう「脅迫された」なんてのほどあてにならないものはない。

ウー女史は前回の中間選挙マサチューセッツのボストン地域代表の下院議員に民主党から(当たり前だが)立候補していたが、当選の暁にはゲーム業界における女性差別や人種差別に真っ向から闘いを挑むつもりだと宣言していた。その小手試しかなんだかしらないが、今年の1月30日、彼女にその機会が現れた。ゲーム開発者協会と訳すのか、The Game Developer’s Conference (GDC) という組織があり、彼らはゲーム業界に貢献した開発者を称えるパイオニア賞をアタリの創設者ノーラン・ブッシュネル氏に与えると発表した。

ブリアナ・ウー女史はすぐにツイッターで攻撃に出た。ウー女史はブッシュネルが1980年代にどれだけのセクハラを行っていたかをツイッターで何回にも分けて「暴露」。(ブッシュネル氏がアタリに居たのは70年代で80年代ではない)#NotNolan(ノーランは駄目)のハッシュタグで猛烈なツイッター攻撃が始まった。瞬く間に自称ゲーマーの女性たち25人がノーラン氏に批判的なツイートをし、その晩にはザ・バージという人気ウエッブサイトがこの件を取り上げた。抗議を受けたGDCは、ブッシュネル氏のそういう過去については全く知らなかったとし、結局今年のパイオニア賞は氏に与えず過去の声なき人々の貢献に与えることとすると発表した。ウーによるノーノーランキャンペーンが起きて立った数時間後のことだった。SNSの力は恐ろしい。

さて、ここまでくると、本当にブッシュネル氏はそんなにひどいセクハラ男だったのかを吟味する必要があるが、GDCがそんなことを調査する時間はなかったはずなので、結局彼らはウーやその仲間のフェミナチ共に圧倒されて、あっさりと降伏してしまったようだ。

私が読んだこの記事の記者ブラッド・グラスゴーは、ブッシュネル氏と一緒に働いたことがあり、当時のことを知ってる女性たちやアタリ創設に関する本の著者らにインタビューをし、当時の様子がどんなふうだったのかを取材した。

1970年代と言えば、まだまだ女性の企業進出が遅れていた時代。その時代において、ブッシュネル氏は多くの女性エンジニアたちを雇いキャリアの機会を与えた。そのなかでもロニー・リーダー女史はツイッターでもブッシュネル氏に対する告発は何の根拠もないものだ、氏はセクハラで訴えられたこともないと氏を弁護した。リーダー女史によると、当時アタリで勤めていた女性たちは、それこそ本当のセクハラを他所の企業で受けており、本当の意味でのミーツー体験をしている。しかしアタリ社では全くそんなことはなかったと証言。このミーツー運動は本当のセクハラの深刻さを軽減させるものだと強く批判した。

もうひとりのエンジニア、イレーン・シャーリー女史は、当時のアタリはパーティのような環境で、ブッシュネル氏が女性に言い寄ったのは事実だが、女性たちも彼に言い寄っていたと語る。もう一人の女性エンジニア、キャロル・カンター女史も1970年代のアタリ社でセクハラの事実は全くなかった、ブッシュネル氏は才能ある人々を回りにつけ、人々の才能を生かしてくれたと語る。

またアタリ創設時の模様を描いたAtari Inc, Business is Funの共著者であるカート・ベンデル氏はブッシュネル氏が如何に当時は珍しかった女性技師を多数起用したかを語る。ブッシュネル氏は女性だろうと男性だろうと性別にこだわらずに才能のある人材を多数雇った。ブッシュネル氏は女性のキャリアを促進したとして称えられこそすれ、セクハラで訴えられるべき人では断じてないということらしい。

ではこんな男性が何故セクハラをしたなどと言われるのか。ブリアナ・ウーがブッシュネル氏をセクハラ男とした根拠な何だったのだろう。実は、それはベンデル氏の著書のなかにあった、ある一節に起因するらしい。

当時アタリでエンジニアをしていたアル・アルコン、かの有名なポングのデザイナーは、当時の様子をこんな風に語る。

「重役会議でこんなことがありました。ノーランはロスガトス市の丘の上にある素晴らしい家に住んでたんですが、その家の裏庭に露天風呂がついてたんです。それでそのお風呂のなかで会議をしたんです。(略)ノーランは何かの書類が必要となってので、事務所に電話して女の子に書類を持ってこさせるように言いました。私たちはみんなお風呂に入っていたので、ノーランはやってきた女の子にもお風呂に入れと誘ったのです。」

どうやらこの一件が、ウーの眼には、女子社員を風呂に招いて乱交パーティを強制させた、と写ったようである。しかし当人のアルコン氏によると、結局この女子社員は誘いを断って終わったということだった。風呂の中には他に10人くらい社員がすでに入っており、このことは彼らが全員目撃している。ノーランがセクハラをしたことなど見たことがないとアルコン氏は付け加える。

キャロル・カンター女史も、ノーランは誰でも露天風呂に誘ったが、それは全く性的なものではなかったと言う。そういう時代だったのだとも。

グラスゴー記者が取材した他の当時の社員たちも、口を揃えてセクハラなど全くなかったと証言している。

グラスゴー記者の記事を読んでいて思ったことは、ウー女史は1970年代という時代背景を全く理解しておらず、当時は特に男女ともに何とも思っていなかったことを現代フェミニストの歪んだ眼で見て完全に曲解しているということだ。1970年代といえば1960年代のヒッピー時代をちょっと過ぎた時期。女性のセクシュアリティーも多いに歓迎されていた頃。当時のフェミニストたちは性的に開放されていることを謳歌していたものだ。今のミーツー運動のビクトリア時代後退派とは大違い。

アタリ社はコンピューターゲームの先駆けであり、ブッシュネル氏は男女差別をせずに才能ある人々を雇った画期的な人だ。ゲーム業界のパイオニア賞を受け取るにこれほど適した人もないだろう。そういう立派な人を自分らの歪んだフェミニズム思想で無実の罪をでっちあげ、その名誉を汚すことをなんとも思わないフェミニストたち。こんな奴らがいるから本当の性犯罪の犠牲者が名乗りでられなくなるのだ。

ところで、ブリアナ・リーは民主党の予選で3:7で惨敗した。