拙ブログを昔からお読みの方は聞いたことのある名前だと思うが、左翼ジェンダー活動家として知られた小山エミ氏が去る6月に癌で亡くなられていたことを本日高井ゆと里氏のエッセーを読んで知った。享年51歳だった。
小山氏と私の出会いは(直接会ったことはない)なんと18年前の2008年にまでさかのぼる。きっかけは私がクリスティーナ・ホフ・ソマーズ著の”Who Stole Feminism?”というモダンフェミニズムを批判した著書を拙ブログで紹介したことを、小山氏が自分のブログで痛烈に批判したことである。
私がそのことについて反論し、フェミニズムやジェンダーフリーに関して何度もブログで討論を繰り返した。
小山は当時オレゴン州に住んでいたが、わざわざ南カリフォルニアのグレンデール市まで来て、慰安婦像建設運動に参加。その甲斐あってあの忌まわしい慰安婦像は見事に設置されてしまった。昔はグレンデール大図書館の敷地内にあったが、今は韓国人が多いシニアセンターの前に移動された。
小山はまた2020年のBLM暴動の時に、左翼団体が作った「自治区」なるものに立て籠ったアンティファ連中に差し入れをしたり、警察に逮捕された暴徒たちの保釈金の募金活動までしていた超過激派左翼主義者だった。
ま、そうしたことで私は10年以上小山とはブラク・オバマの国民皆保険制度や、アファーマティブアクションやジェンダーに関して何度となく討論をしてきた。もちろん私と小山の意見は常に正反対で何かに同意したことは一度もない。だが長年にわたり何度もやり取りを繰り返したので、私は親しみを込めて(笑)、小山のことをエミちゃんと呼んでいた。小山はそれが非情に気に障ったようで、その度にやめてくれと言っていたので私は続けてエミちゃんと呼んでいた(笑)。
私が小山と出会った頃、私はトランスジェンダリズムについて非常に無知であり、考え方もナイーブ(悪い意味で無垢)だった。小山は当時フェミニズムの本「バックラッシュ」を自分のブログで宣伝していたし、自分の自己紹介ページでも「クィア」だの「ダイク」などという言葉があったので、私はてっきり小山は典型的なレズビアンフェミニストなのだろうと思っていた。

Emi Koyama is a multi-issue social justice slut synthesizing feminist, Asian, survivor, dyke, sex worker, intersex, genderqueer, and crip politics, as these factors, while not a complete descriptor of who she is, all impacted her life. Emi is currently the director of Intersex Initiative. Emi lives in Portland, Oregon and is putting the emi back in feminism since 1975.
上記が小山の英語サイトにあった自己紹介文なのだが、正直私にはこれに何が書いてあるのかよく分からなかった。それは英語だからではなく、今でいうLGBTQ+界隈の人たちがよく使う隠語であふれかえっており、普通の人が使う表現ではないからだ。
小山エミは、フェミニスト、アジア系、サバイバー、レズビアン、クィア、セックスワーカー、インターセックス、ジェンダークィア、クリップの政治的立場を融合させた、多面的な社会正義活動家である。これらの要素は彼女の人物像を完全に言い表すものではないが、いずれも彼女の人生に影響を与えてきた。現在、エミは「インターセックス・イニシアティブ」の代表を務めている。オレゴン州ポートランド在住のエミは、1975年以来、「フェミニズムに『エミ』を取り戻す」活動を続けている。
上記は機械翻訳によるものだが、これは原文よりかなり清潔な言い回しになっている。例えば小山は自分をslut synthesizing feministと書いているが、slutとは尻軽女という意味である。機械翻訳ではレズビアンとなっているが、原文はdykeであり、これは男っぽいレズビアン女性を表す多少侮蔑的な意味のある言葉だ。それと今はおなじみになったクィアとか、ジェンダークィア、という表現がある。そしてセックスワーカーとは売春婦のことだし、インターセックスというのは今でいうDSDという遺伝子疾患の病気である。私は当時クィアを変態とか、男性の同性愛者を指す侮蔑語としか理解していなかった。だが小山がそういう意味で使っているのではないことは確かだったので、これはどういう意味なのかと私は何度も小山に聞いたが、「あなたに説明してもわかってもらえない」と言って一度も納得のいく説明をしてくれなかった。
今ならこの文章を読んだだけで、小山が遺伝子疾患を持った男性であり、性自認は女性で性指向は女性、元売春夫で性加害の被害経験から立ち直った、つまりトランスジェンダーだということがわかるが、当時の私には全然理解できなかった。
私が小山がトランス自認の男性であることを知ったのは、ずっと後のになってからで、彼が声だけ出演したポッドキャストを聴いた時に彼の声が男性のように野太かったことと、彼が講演した時の写真を見て、女装はしていたものの男に見えたので、この人は男性なのではと疑い始めたのが最初だ。そして極めつけは彼の書いた「トランスフェミニズム宣言」という論文を読んだことだ。それでやっと彼の言うジェンダークィアの意味がわかったのである。
どうして小山は最初から私に自分は男から女に移行したトランスジェンダーで性愛対象は女性なのだと説明してくれなかったのか解らない。ただ彼はその界隈では結構有名なトランスジェンダーだったようで、そのことを全く知らずに頓珍漢な質問をしてくる私をからかっていたのかもしれない。彼のブログの愛読者にも高井ゆと里氏のようなトランスジェンダーも混じっていたのだから、誰かコメント欄ででも教えてくれたらよかったのに。彼はフェミニズムについて語りながら、一般のフェミニストたちに少なからぬ敵意を持っていると私が感じたのはこれが原因だったのだと納得がいった。
小山エミの似顔絵↑
トランスジェンダリズムはフェミニズムから派生したものではあるが、今はフェミニズムとは相いれない概念となっている。なぜなら女性の地位向上を目指す運動に、女性を偽る男性を女性として入れたら全く女性運動ではなくなってしまうからだ。
それではここで、小山がトランスフェミニズム宣言でどのようなことを書いていたのか、高井ゆと里氏のエッセーを借りて、ご紹介しよう。高井は女性を自認する男性には女性に比べて特権があるのかという話に焦点を当てている。
エミさんによれば、「何よりもまず、トランスフェミニズムはトランス女性によるトランス女性のための運動である」。そして、トランスジェンダーの解放が「あらゆる女性の解放と結びついており、さらにはその先の解放にもつながっているというビジョンを持っている」のが、エミさんの語るトランスフェミニズムである。
(中略)
両者(フェミニズムとトランスジェンダリズム)の緊張関係が生まれるひとつの局面は、エミさんが語るように、フェミニズムの側から「トランス女性は男性特権を持っている」といった批判がなされ、そうした批判に基づいて、トランス女性をフェミニズム運動から排除するよう求める声が上がるときだ。
確かにある一定の時期まで男性として生きて来た「トランスジョセー」たちは、男性としての特権の恩恵を受けて来たのは事実である。しかしトランスしてからは、トランスであることの多大なる不利益が生じることから、トランスジョセーが過去に受けた特権のみで、トランスジョセーは男性特権を持っていると考えるのは誤りであると小山は言う。
エミさんは、トランス女性が(本人にとっては全く望ましくないことに)男性として見なされ、男性特権を付与されることがあるのと同様に、トランスジェンダーではない人々(すなわちシスの人々)は、まさにそのことによって「特権」を得ているのだと指摘する。
このトランスではない人たち(つまり正常な人たち)が持つ特権とは何かといえば、
- 親から「使い物にならない名前」をあたえられたりしない
- 同世代の同じ性別の仲間から隔離されたりしない
- 国家によっておかしな性別を登録されたり、身分証の性別欄が理由で生存を脅かされたりしない
- 見た目や身体の形のことで鏡の前でもだえ苦しんだり、それらが理由で誰かから排除されたり迫害されたりする可能性が低い
- 地獄のような性別移行の苦労を経なくても(少なくとも性別の点では)初めから人生のスタートラインに着くことができ
- 性別を移行した過去を暴露されることを恐怖しながら暮らさなくてもいい
- このような性別違和を経験しているのは世界でただ一人なのではないかという絶望や、メディアで嘲笑される「おかま」と自分を重ねなければならないことの葛藤と無縁でいられる
- 政治家によって執拗に悪魔化されたり、その存在そのものがリベラル派の政治的敗北の原因であるかのように責任を押し付けられたりしない
いやいや、性違和など持ってない人でも、親からきらきらネームをもらって不利な目に逢ってる人も結構居るし、見た目や身体の形のことで悩む人などいくらでもいる。そりゃ性別移行措置の必要はないが、女性には生理があり、出産という大仕事もある。そのほかのことはうつ病や自閉症や発達障害などの精神疾患を持っているひとなら、全く同じではないが同等の悩みを抱えていることだろう。それはなにもトランスジェンダー特有の悩みではなく、性違和という精神疾患による悩みにすぎない。そしてトランスジェンダーとして生きるというのは自分が決めた選択であり、それがそんなに大変なことなら、自分の性別を受け入れて男性として生きるという選択肢もあったはずだ。あえて生きづらい生き方を選んでおいて、正常な人たちには特権があるなどと言ってもらいたくない。
「トランス女性は、その存在からして他の女性よりも特権を与えられているのだ」という主張は、「ゲイ男性のカップルは、どちらも男性特権を持っているのだからヘテロ(異性愛)のカップルよりも特権を持っているのだ」と主張するくらい、無知でばかげている。」小山エミ
小山がこれを書いたのは20年以上も前なので、まあ仕方ないが、今やトランスジェンダーといえば完全なる特権階級だ。トランスだと言えば男性でも女性スポーツに参加して賞金と栄誉をかっさらえるし、女性空間に入り込んで覗きはやり放題だし、どう見てもお男に見えるのに男だと「ばらされた」ら訴えて賠償金をがっぽりもらえる。トランスについて批判する人たちのキャリアを奪い、女性だけでやっていた音楽祭をぶっつぶし、文句をいう生意気な女たちを黙らせる。レズビアンバーに押し入り、レズビアンアプリに無理やり参加し追い出されると運営者を訴えてこれもまた賠償金をたんまりもらえる。
これが特権でなくて何なんだと私は聴きたい!
ところでゲイカップルは特権階級とは言えないまでも、レズビアンカップルや男女カップルよりも経済的に裕福な人達が多い。なぜかと言えば男性は女性よりキャリアに野心的に取り組む人が多いからで、男性二人の収入で子なしとなれば強力である。比べてレズビアンカップルは女性同士なので、お互い収入が低く、前の結婚で子供が居る女性も多いので経済的に困窮する人が多い。
小山は前々からあまり健康な人ではなかった。よく自分のブログでも病気の話を色々していた。
紙面上では何度もやりあった相手ではあるが、ご冥福をお祈りしたい。





