2020年のバイデン候補とトランプ大統領の討論会で、バイデンはトランプに何度も白人至上主義の右翼団体を糾弾するかと問い詰めた。トランプ大統領はそれまでにも、何度も過激派右翼団体を批判してきたが、民主党やリベラルメディアはトランプが十分に過激派を糾弾してこなかったと執拗なまでに批判していた。ところが今回、妊娠中絶を巡る最高裁の審議を巡って、ロウ対ウエイド撤廃に反対する最高裁判所の職員によって裁判官の意見書草案が漏洩したことに関しても、判事たちの自宅前で集団で行われている脅迫行為に関してもバイデン政権から糾弾のきの字も聞かれない。報道官最後の日となった記者会見でサキ報道官はこれについて質問された時も過激派の行動を全く批判せずに逃げてしまった。
先週木曜日に行われたホワイトハウスの毎日行われる記者との質疑応答の際、中絶推進派の過激派グループが判事たちの自宅前やカトリック教会の内部などで抗議運動をすると計画していることに関して見解を聞かれると、サキ報道官は活動家たちの抗議は「平和的だ」と語った。
これは中絶推進派グループ「ルースセントアス(自分達は故ルース・ギンスバーグ最高裁判事から送られてきた者たちであるという意味)が、カトリック教会や判事の自宅の住所を公開して抗議デモを呼びかけたことに関して、バイデンの見解はを聞かれた時の回答だ。
私たちの見解は平和な抗議運動はアメリカの長い歴史があることだということです。もちろん人々が平和的に暴力に至らないことを呼びかけますが。
漏洩された書類に関して色々な激情や恐怖や悲しみを国中で多くの人々が感じていると理解しています。もちろん我々は人々がプライバシーを尊重してほしいとおもっています。人々が抗議するなら平和的にやってもらいたいと思っています。それが大統領の見解です。
この記事には書かれていないが、判事たちの自宅前におけるデモに関して質問された時にも、サキ報道官は「人々がどこで抗議をするかを我々がとやかく言えることではない」といったようなことを言った。いや、それはおかしいだろう。大人数で集まるデモは地元の警察の許可が必要なはずだし、個人の家の前でのデモは違法なはずだ。なぜサキ報道官は「決められた場所で平和的にデモをするように、個人の自宅前でのデモは脅迫行為なので断じて糾弾する」と言えないのだ?だいたい左翼過激派のいう「平和的なデモ」がどんなものかは、2020年の夏中起きた暴動を見ていればわかることではないか。
これは明らかにバイデン政権は判事たちへの暴力的な脅迫を奨励するという意味にとれる。糾弾しないということは同意するということなのだろう?「沈黙は暴力」だと言ったのは左翼たちの方だ。
ホワイトハウスからゴーサインが出たのをいいことに土曜日、最高裁のロバート判事やカバノー判事の自宅前で過激派暴徒たちが集まり大声で判事やその家族たちを脅迫した。こちらがそのビデオ
最高裁の審議を巡って判事たちを個人的に脅迫するなど、民主主義国家ではあってはならない行為だ。最高裁から書類を漏洩した職員にも厳しい罰を与えてほしい。
共和党上院議員のテッド・クルーズは、自分も最高裁で判事たちの助手をしていたことがあるが、裁判所から書類を持ち出すことは違法であり、漏洩した職員は即解雇されるべきだと語った。そして、もしその職員がすでに弁護士資格を持っている場合は、その資格も剥奪されるべきであり、まだ取得前であるなら今後資格を得ることができないようにすべきであると加えた。
この漏洩について民主党議員の一人からも批判の声が上がっていない。それどころか、判事の数を増やすべきだとか、議会で中絶無制限合法化の法律を議会の三分の二の合意ではなく、単純多数決で通してしまおうなどと公言している。民主党は国民の民意を無視して自分らだけで中絶の完全合法化を目指そうというのである。なんという恐ろしさだ!
何度も言うようにアメリカは連邦国家であり、個々の州がそれぞれ州民の意見を反映した法律を持っている。カリフォルニアやニューヨークのやり方が、必ずしもアーカンサスやテキサスのやり方と一致しないのはそこに住む人々の生活や文化が州によって大きく違うからである。無論だからと言って州が勝手に少数派の人権を損なうような法律を通してもいいというわけではない。だから州の通した法律がアメリカの憲法に違反しているかどうかを審議するのが最高裁の役目だ。
そうやってカリフォルニアの夫婦は一夫一婦制のみという法律は最高裁で違憲という判決がおり、全国的に同性婚が認められるようになったのだ。
前々から私は同性婚には反対の立場だが、正式なプロセスを通して最高裁が最終的に下した判断であるから、私も含め反対派も最高裁の裁断を受け入れたのである。
もし判事への脅迫で判事たちが意見を変えたら、暴力的な過激派活動家が騒ぎさえすれば、なんでも彼らの思い通りになるということになってしまう。そういうのを民衆による独裁というのだ。