苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

政教分離はどうなった? イスラム教公立学校を認めるミネソタ州

ミネソタにはイスラム教徒が多く住んでおり、なにかと自分らの権利を主張して無理難題をふっかけ、それが拒絶されると人種差別だ宗教弾圧だ人権迫害だといって大騒ぎをしているという話はここでも何度かしてきた。下記はその一部である。 イスラム教スーパー店員ベーコンの販売を拒否! イスラム教徒のタクシー運転手の乗車拒否 アメリカのイスラム化を狙うCAIR ミネアポリス空港イスラム教タクシー運転手の乗車拒否に厳しく対処 そのミネソタで、今度は州民の税金で経営されている公立学校で、イスラム教学校が経営されているという話が地元の新聞のコラムニスト、キャサリンカーストンによってスタートリビューンで暴露された。 私が上記に挙げた例でも背後にモスラアメリカンソサエティー(The Muslim American Society、MAS)という市民団体が存在する。この団体は実はモスラブラザーフッド(the Muslim Brotherhood)というハマスなどのテロリストたちを生み出しているテロ養成グループのアメリカ版看板団体である。 MASは2007年の大会でシェイク・カリード・ヤシン(Shayk Khalid Yasin)という悪名高い男を講演者として招いた。この男は英国やオーストラリアで、妻に暴力を振るうのは許されるとか、同性愛者は死刑になるべきだとか、エイズアメリカの陰謀だとかめちゃくちゃなことを言ってる過激なイスラム師教である。 このMASミネソタ支部は何かとミネソタでシャリア法を広めるのに熱心だが、カーストンは今回彼等が先導してなんとミネソタイスラム教を教えるいわゆるマドラスを州の税金で経営される公立学校として州に認定させてしまったことを学んだのだ。 ツインシティーの郊外にあるこの学校の名前はTarek ibn Ziyad Academy、略してTIZA, 昔スペインを征服したモスラム将軍の名前からとったもので、生徒全員もしくはほとんどがイスラム教徒であり、校長はいイマームと呼ばれるイスラム師教、学校のスポンサーはイスラムリリーフUSA、学校の建っている土地はMASが持っている。 この小学校で5年生の臨時教員をつとめた女性の話によると、学校では一日に5回のお祈りの時間がもうけられており、その前には教師の指導で子供たちは足を洗う。イスラム教では聖なる日とされる金曜日には体育館で集会がもうけられそこでイスラム教の教えが説かれるという。 断っておくが、アメリカでは宗教学校そのものが存在することは違法でも何でもない。それが私立の学校であれば何を教えようと学校の判断に任せられる。だが、それが税金を使った公立学校となってくるとそうはいかない。教育と宗教は完全に分離しなければならないという最近の風潮から、公立学校では聖書研究部がひらけないとか、学校内では生徒たちが個人的にキリスト教のお祈りをするのさえいけないとか、うるさくいわれている。学校によっては十戒を取り除いたりクリスマスツリーを排除したりしているところさえあるのである。 そこまで宗教を公立学校から閉め出そうとしている教育委員会が、あからさまなイスラム宗教学校を公立学校として認定しているというのはどういうことなのだ?完全に州法に違反するはずである。 TIZAのザマン(Zaman)理事長はカーストンの「イスラム教徒への明らかな偏見」は心配であると意思表示をし、カーストンからの取材を拒んだ。そして記事が掲載された直後ザマン理事長はカーストンが個人的に自分と学校を宗教を理由に攻撃したとし「悪質で、文明社会では受け入れられない」と糾弾した。 こういう話になると必ず乗り出してくるアメリカのイスラム過激派グループCAIRがついに、キャサリンカーストンへの猛攻撃をはじめるべくお出ましである。 人権擁護市民団体を装うCAIRのミネソタ支部はツインシティーの小学校に向けられた脅迫について刑事犯罪がおかされている恐れがあるとしてFBIに調査を求めた。CAIRは小学校の子供たちの安全が脅かされるおそれがあると心配しているのだという。「我々は人々にはまあだ明らかにされていないこの件に関して光をあてたいと思う」とCAIRの代表者は語った。 私はこの件が大っぴらになるのはいいことだと思う。なぜなら政教分離というのは単にキリスト教迫害に他ならず、イスラム教徒からの脅迫に恐れおののいて何でもかんでもいいなりになっているミネソタ教育委員会の情けない現状に「光を当てる」いい機会だからである。 こんなことがアメリカで許されるなら、アメリカも欧州やカナダのようになるのは時間の問題だ。キャサリンカーストンはガードマンを雇って今後もミネソタイスラム教暴虐を暴露し続けてほしい。本当に身の安全が心配されるのはイスラム批判をするジャーナリストたちのほうだろう。