LGBT理解増進法が通りそうな日本でも、LGBTへの風あたりが強くなっていることから活動家たちのプロパガンダ戦略も激しくなっている。そこで私が見つけたこの記事。LGBT活動家たちは、保守派がLGBとTを分裂させ制覇しようという、所謂"divide and conquer"作戦を取っているという内容である。題して「LGBT迫害から立ち上がる シドニーで見た歴史への敬意 李琴峰著」この記事は先日拙ブログで紹介したCNNの内容と酷似している。活動家たちはどっかの司令部からこういうやり方で反対派と戦えという命令を受けているとしか思えない。
先ず李はオーストラリアの1970年代における同性愛者弾圧の歴史からはじめ、今や全く同じやり方で今度はトランスジェンダーを「てこの支点」として反対派はLGBT運動を進めていると結論付ける。その部分を読みながら私の感想を加えて行こう。
「てこの支点」にされるトランス
アメリカ全土で同性婚が認められた15年以降、反LGBT運動の標的は同性愛者からトランスに移った。17年、ワシントンDCで開かれた保守・宗教右派の集会で、ある活動家はこう語った。
「LGBTの連帯は実際はもろい」「トランスと性自認(ジェンダー・アイデンティティー)は世間に受け入れられにくいから、分断し制圧するためには、性自認に焦点を絞ろう」「Tを切り離せば、私たちはもっと成功するはずだ」
TRAは版で押したように同じことを言う。これは話が逆。同性婚が合法化され、アメリカ国内では同性愛者に対する偏見も差別もほぼなくなってしまったので活動家はすることがなくなった。誰かが差別されていることにしておかないと仕事がなくなるので(人権活動は非常に儲かる商売だから)新しい被差別者として元LGB活動家がTを加えて活動を始めたに過ぎない。保守派たちは単にこの新しい作戦に反応しただけである。
この計略は成功した。10年代後半から、「性自認」の概念を疑問視し、トランスを攻撃する言説は世界的に広がった。攻撃者は「LGBとTは違う」「Tは女性の安全を害する」「性犯罪を助長する」と主張する。トランスはいわばてこの支点となり、攻撃者はトランスをやり玉にあげ、LGBT全体の権利を否定しようとしている。LGBTが一緒くたに迫害され、そして連帯して戦ってきた歴史を抹消し、分裂を狙っている。
実はLGB当事者たちの間からも、LGBとTQ+以降は分けて考えるべきだと言う主張が多く聞かれるようになった。欧米社会で同性愛者への偏見が酷かった頃、反同性愛者たちの懸念は同性愛者による子供の腐敗がもっともよく挙げられた。以前にも書いた通り、同性愛者(特に男性同士のゲイ)達はこの悪いイメージと長年戦って来た。そして2020年代にもなれば同性愛者が子供を腐敗させるなどと考えるひとはほぼいなくなっていた。そのイメージが再び変わってしまったのは一体誰の責任だと李は考えるのだろうか?
日本も例外ではない。「LGBT法=男の女湯利用公認」と言う人がいる。「自称女性の男性が女性と同性婚すると、法的に女性と認めなければならなくなる」と言う人がいる。さらには、「Tは女性と子どもの安全を脅かす」――。これらの言説が広まっている状況は、一体何を意味するのか。
70年代のアメリカで、史上最も有名な反同性愛の活動家、アニタ・ブライアントは「子どもを救おう」という標語を掲げて、同性愛者の教職追放を訴えていた。00年代の日本で、保守派は「男女共同参画=男女の風呂共用」と扇動し、男女共同参画に反対していた。過去の言説の二番煎じが、いまLGBT、とりわけTに向けられている。
李自信は保守派の「計略」が何故「成功した」のか考えてみたのだろうか?もし保守派がいう「男の女湯利用公認」や「自称女性の男性が女性と同性婚する」などという懸念がすべて嘘やデマであるなら、活動家による「それはデマです」でことは足りるのでは?しかし実際には地方自治体ですでに同様の法律を通してしまったところで、反対派の心配した状況が現実となっている。
先日埼玉県では介護施設で従業員の更衣室を突然男女共同にしろと知事からの鶴の一声で、従業員の意見も聞かずに強行した施設があったとツイッターで当の施設に勤める介護師からの告発があった。そして抵抗した介護師ら5人が解雇されたというのである!埼玉県はLGBT差別禁止法を積極的に実施。県民80%の反対意見を無視して無理やり通してしまった県だ。そしてその直後に反対派が懸念した通りのことが起きたのだ。これは主流新聞で大々的に取り上げられるべき大ニュースだと思う。
何が有効な議論で、何がただの差別・恐怖扇動なのか。様々な「正しさ」がせめぎ合う現代において、全てが等価であり、ゆえに無価値に感じる瞬間もあるかもしれない。そんな時、歴史は一つの指針になる。LGBTがどんな差別にさらされ、どのように共闘してきたか。歴史の鏡を眺めれば、おのずと答えは浮かび上がるだろう。
かなうものなら、「#日本を滅ぼすLGBT法案」を投稿した人たちに、私はマルディ・グラの景色を見せてあげたかった。LGBTの人権が日本よりずっと進んでいるオーストラリアは、何も滅びていない。シドニーの晴れ空の下で開催される虹の祭典、そこにあふれんばかりの笑顔を、ほんとに、見せてあげたかった。そしてこうも思う。この景色を、「遠い外国のこと」にしたくない。そのためには、歴史を学び、繰り返し伝え、記憶し続けなければならない。
よくもまあ、こんなすっ惚けたことが言えるものだ。「LGBTの人権が日本よりずっと進んでいるオーストラリア」では、教育者が親に内緒で子供の性転換を推し進め、親がそれに抵抗すれば親権を失うのだ。手術はおろかホルモン治療すらしていない男ライリー・デニスが女子サッカーに参加して相手チームの女子をことごとく負傷させ、それを報道したリポーターにデニスへの接近禁止令を出され、これに関する報道はオーストラリアの法律で禁止されているとして、オーストラリアではこれに関するツイートは一切掲載されていないのだ。李は日本にそんな「ずっと進んでいる」国の真似をさせたいのか?
記念碑の名は、「Rise」――蜂起する、立ち上がる、の意だ。LGBTは人間の歴史を通して一緒くたにされて迫害を受け、それでも何度も強く立ち上がって闘ってきた。これからも連帯のために手を携えて生きていくだろう。私はそう信じている。
もしTQ+以降のひとたちと一緒くたにされて子供虐待や女性抹消の汚名を着たくないなら、LGB当事者の人たちは積極的にTQ+と別離し他の常識人たちと一緒にTQ+活動家たちの悪質な活動を撲滅するよう共闘すべきである。すでにその兆候は見えな始めている。
我々常識人はこの攻撃を緩めてはいけない。なぜなら李も認めている通り、トランスジェンダーを「てこの支点」とした抵抗運動は成功しつつあるのだから。