先日ご紹介したネットフリックスのクレオパトラシリーズの放映が遂に始まったが、RottenTomatoesという批評家と視聴者の反響を示す指標では、批評家11%、視聴者2%というRT史上最低の結果が出た。これはつまり、観た人ほぼ全員がこの番組に悪評価を下したということになる。この番組は放映前からクレオパトラをアフリカ系黒人が演じているということでかなりの批判があり、特に現エジプト人からなぜエジプト系やギリシャ系の女優を使わなかったのだと不満の声が上がっていた。
ローマやエジプトの古代歴史に詳しいユーチューバー(多分ギリシャ系)の話を聞くと、北アフリカ系黒人は主役のアデラ・ジェイムスだけでなく、エジプト人とされる人々の役は全てアフロ黒人が演じているという。当時のエジプトの支配階級はマセドニア人(現在のギリシャ)であり、アフロ黒人ではない。なぜエジプト王家の話なのにエジプト系俳優が一人も起用されていないのか、とそのユーチューバーは怒っていた。
Elizabeth Taylor as Cleopatra in the 1963 epic drama film directed by Joseph L. Mankiewicz.
しかしエリザベス・テーラーがクレオパトラを演じた時は人種が違うなどという批判はなかったではないかという問いに対して、エジプト人芸人Bassem Youssefはハリウッドは昔からそういうことには無頓着であり、当時のエジプト人もそれがいいと思っていたわけではないと語っていた。しかし、そういう彼の顔立ちは、中東系とはいえイタリア人やギリシャ人と言っても通用するヨーロッパ系に見えるし、肌はどちらかと言うと白人に近く目は青い。今のエジプト人でもこうなのだ。古代エジプトのマセドニア人であったクレオパトラがエリザベス・テーラーとアデラ・ジェイムスのどちらに似ていたかと言えば、明らかにテーラーの方に似ていたはずだ。
Photo courtesy of Mustapha Azab Bassem Youssef
拙ブログでも何度かお話しているように、昨今のハリウッドやイギリスのドラマにおける人種挿げ替えの勢いは凄まじい。リトルマーメイドやティンカーベルのような架空のファンタジーキャラクターなら人種などどうでもいいという理屈も通るかもしれないが(通らないと私は思うが)、時代劇など史実を元に実在した歴史上の人物で肖像画などからその容貌が広く知れ渡っているような人たちですら黒人が演じるという本当におかしな状況になっている。
つい先日も、ウィリアム・F・バックリーJr.(1925ー2008)という1955年にナショナル・レビューを設立した保守派作家の役を黒人が演じているお芝居のコマーシャルを観た。彼は1950年代から2008年に亡くなる寸前までテレビなも多く出演しており、その教養あふれる上流階級人らしい彼独特の話方に関しては、まだまだ記憶に新しい人々が多く居る。彼の友人だった保守派の人びとも未だに作家や評論家として活躍しているわけで、全くイメージの違う人を配役することの意味がわからない。私の今は亡き我が友人はバックリーと面識もあり、彼の物真似が非常にうまかった。
しかし問題なのはイメージが違うなどという表面的なことだけではない。ほぼ単一民族だけの社会ではよそ者を忌み嫌うのはごく普通である。だいたいつい数十年前までどんな社会でもよそ者差別は普通だった。海岸沿いで貿易港などがあり諸外国の人びとが入り混じる都市ならともかく、小さいコミュニティーでは誰もが何世代も前からの知り合いだ。だからよそ者を警戒するのは当然の’話だ。
それと昔の社会はどこの社会でも階級制度というものがあった。自分らが付き合う相手は同じ階級のものだけであり、ましてや結婚などということになれば位が高ければ高いほど相手の家柄を選ばなければならない。位の違うひとたちとの付き合いは同じ階級の人びととのそれとはまるで違う。身分の違うもの同士の対等なつきあいなどというものは存在しなかったのである。
そういう社会を背景にした物語で、全く違う人種や階級の人間が、あたかも対等であるかのように自然な付き合いをする描写があった場合、歴史を良く知らない観客は昔の欧米社会についてどんな印象をもつだろうか?何も知らない観客は中世のイギリスやフランスの宮廷には普通にアフリカ系黒人の貴族が出入りし、貴族も商人も農民もみな同じようにふるまい、諸外国からの移民で街は溢れかえっていたと思ってしまうのではないか?だがそうだとしたら、当時全く文化の違う諸外国からの移民がヨーロッパの宮廷でヨーロッパ人と同じようにふるまうだけの教養を持っていたということになってしまい、当時の中東アラブの奴隷商人やアフリカ大陸からの黒人奴隷らの存在はかき消されてしまう。
つまり史実上の人物や当時の社会を無視した人種挿げ替えは当時の社会構成や文化全体を否定することになり、欧州及びアフリカや中東の歴史まで書き換えてしまうことになるのだ。
今の世の中でも人種差別が消えたわけではない。いや、それどころか人権屋が常に現社会の人種差別について声高に訴えている。しかし、ドラマの世界を信じるならば、中世や近代歴史の欧米で多人種が仲良く全く問題なく共存していたのに、昨今の人種差別は何時頃から始まったのであろうか、何故昔は人種差別がなかったのに突然現代になって人種差別が始まったのだ、そしてその原因は何なのだ?というおかしな疑問が生まれてしまう。よしんば昔から人種差別はあったと考えたとしても、ドラマの世界を見る限り、いまとそんなに違わない程度のものだったと判断せざる負えなくなり、欧米の人種問題は昔から全く変わっていないという印象を持ってしまう。実際はまるで違うにもかかわらずである。
それともうひとつ、昨今の人種挿げ替えはほぼ元の役が何人であろうと黒人が配役される。そして白人役を黒人が演じるのは構わないのに黒人役を白人が演じたら大問題になる。この間も書いた通り、現代のハワイ諸島民の役を実際のハワイ島民が配役されたにもかかわらず、役者の肌の色が白すぎると言って大騒ぎする黒人活動家たち。ハワイ諸島民はアフロ黒人ではなくヨーロッパの植民地時代が長く続いたせいで肌の色もまちまちであることなど完全無視。それでいて、非白人の有色人種(エジプト人)をあり得ない人種のアフロ黒人が演じることは全く問題がないと言い張り、当のエジプト人からの非難を「黒人差別だ」だとしてエジプト人ファン全般を侮辱するという傲慢さ。このままでいくと、そのうち「ショーグン」や「ラストサムライ」のリメイクが行われたら日本人役は全員黒人がやるのではないかとさえ思われるほどだ。
黒人俳優を多く起用したいというなら、黒人独自の歴史を語ればよい。近代の黒人英雄の遺伝はいくらもある。奴隷から政治家になったフレドリック・ダグラスやジム・クロー時代に育ちながら最高裁判事にまでなったクレアランス・トーマス判事の話など探せばいくらでもあるはず。なぜ他民族の歴史を乗っ取らなければならないのだ?何故他人の創造物を破壊しなければならないのだ?
今回のクレオパトラシリーズの大不評が良い例であるなら、今後このような人種挿げ替えはどんどん拒絶されていくだろう。そうなって反感を買うのは単に与えられた仕事をしていた黒人俳優たちのほうである。
追記:これを書いてからクレオパトラのプロデューサー、ジェダ・ピンケット・スミス(ウィル・スミスの悪妻)は、クレオパトラの失敗は白人至上主義のせいだと言っているという記事を見つけた。Jada Pinkett Smith claims her Cleopatra documentary FAILED due to WHITE SUPREMACISM (msn.com)。苦情の多くは非白人のエジプト人からなのに、なんでもかんでも白人至上主義の性にするな!歴史的にも間違いだらけの駄作を作った責任をちゃんと取るべきである。
ネット仲間のBlahさんがおもしろい動画を紹介してくれてるので張っておく。(5) 🇺🇸 🇯🇵Blah on Twitter: "ポリコレ改変が大好きなNetflix、今度はシャーロット王妃を黒人にして炎上。 シャーロット王妃黒人説は一部で根強く、原作者も賛同も、歴史家はこの説を強く否定。奴隷制廃止前に黒人系王族は無理があると批判の声。 ↓リプ欄で恒例のポリコレ映画ミーム集 https://t.co/PAqdaduhUg" / Twitter