苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

千と千尋の神隠し、メッセージが良く分からない舞台版

アマゾンプライムでミュージカルを探していたら、「千と千尋の神隠し」舞台版があったのでストリームで観た。これはジブリの同題名のアニメ映画の舞台化だ。メインの役はすべてダブルキャストだったが、私は橋本環奈の千尋、醍醐虎汰朗のハク、夏木マリの湯ばあば、妃海風のリンといった顔ぶれで観た。

私がこのアニメ映画を観たのは公開当時一回キリなので細かいところは忘れてしまったが、当時はアニメ映画としては史上最高の売り上げだったような覚えがある。アメリカでもこの映画はSprited Away(神隠し)という題名で人気があった。

私が覚えている限り舞台は映画の筋をそのまま追っているように思えた。ざっとあらすじを言うと、10歳の少女荻野千尋は両親と共に引越し先のニュータウンへと車で向かう途中、父の思いつきから森の中の不思議なトンネルから通じる無人の町へ迷い込む、町はなにか時代遅れの派手な建物が並んでおり、父親はバブルの頃に沢山あちこちに建って潰れたテーマパークの廃墟だろうと言う。誰も居ない町なのに何故か一軒だけ開いている食べ物やがあり、千尋の両親はその匂いに魅かれてがつがつと並べられていた食べ物を食べてしまう。すると不思議、両親は二匹の多き豚に変身してしまったのだ。千尋たちはトンネルをくぐって八百万の神が住む別世界に迷い込んでしまっていたのである。

白龍になったハクを助ける千尋(橋本環奈)
白龍になったハクを助ける千尋(橋本環奈)

そこに平安時代の子供のような恰好をした少年ハクが登場。千尋は一旦は戻れと忠告されるが、親を救うためにこの世界に残る決心をする千尋に、ハクは湯ばあばのところへ行って仕事をしたいと言えと助言をする。千尋は湯ばあばが経営する湯屋で下働きをしながらどうやって両親を救うか考える。

とまあこんな感じで話は始まる。元々がアニメのファンタジーであるから、ジブリの世界を舞台にするとなるとかなり大変だ。それで背景にはスクリーンを使って動画を映し出し、冒頭の車に乗っているシーンなどは背景に景色が映し出されてそれがどんどん動いて車が走っている感じを出していた。

湯屋の舞台装置もかなり凝っていて湯ばあばの部屋になったりお風呂場になったり番台になったりする。湯屋に勤める下働きの女中たちや使用人の男たちなどアンサンブルの数はかなり多い。

色々でてくる妖怪たちは大きいものは着ぐるみ、小さいものは浄瑠璃のような人形で黒子の人形遣いが人形の後ろで台詞を言う。また窯爺という腕が何本もある妖怪は後ろ側に何人もの人が居てそれぞれの腕を演じていた。

面白いと思ったのは、映画のような特撮は一切なく、ケーブルも使わず、千尋が水のなかで動き回ったり、龍となったハクの上に乗って飛ぶシーンでは黒子たちが彼女を持ち上げ何人もで千尋を移動させ、あたかも彼女が水に浮いている感じや空を飛んでいる感じをだしていたことだ。

千尋役の橋本環奈は元気一杯で一生懸命やってる感じが伝わって来て好感が持てる。全編ほとんど出っ放しなのでこれはかなり大変だ。私が一番気に入った役柄は妃海風(ひなみ ふう)演じるリン。彼女は湯屋千尋を子分のように受け入れて色々教えてくれる姉御肌の女性だ。女なのにずっと男口調で全く女らしい仕草をしない。まるで宝塚の男役みたいだなと思っていたら、案の定妃海風は元宝塚女優だった。あ、やっぱり。夏木マリの湯ばあばは味があって面白いが、あの大きな顔を被っているので表情がちょっとわかりにくい。

ただミュージカル調ではありながら何故か主要人物は誰も歌わないし踊らない。歌や踊りはあくまでアンサンブルの人たちがする。私はこれはちょっと不満だった。この話はミュージカル要素がいくらもあるし、せっかく歌手が何人も出ているのだから歌わせないというのも変な話ではないか?

舞台は映画の筋を忠実に追っているようには見えたが、どうも私が映画を観た時に比べて何がいいたいのかよくわからない。千尋が神々の住む世界に迷い込んだのは分かるが、どうすれば親たちを救えるのかがはっきりせず、なにか行き当たりばったりのことをしている感じがするのだ。「かおなし」や坊や沼の神といった登場人物はそれなりに面白いが、一体彼等は何のために出て来たのだろうか?ストーリー上の彼等の役割がはっきりしない。

私の記憶では原作では環境汚染への批判メッセージがかなり強かったように覚えている。だが舞台版ではあまりそれには触れていない。それでハクのキャラクターがあまり生きていない気がする。彼が自分の名前を忘れた理由や、なぜ湯ばあばの弟子になったのかなど、ちょっと動機がよくつかめない。

最終的に千尋は両親を取り戻して元の世界に帰ることが出来るのだが、なぜ湯ばあばがそれを許したのかどうも解せないのだ。もっと湯ばあばと取引でもして試練を与えられ、それをこなした結果帰れるとかいう設定のほうが自然である。

湯婆婆の夏木マリ
湯婆婆の夏木マリ

色々不満はあるが、全体的には楽しい舞台だった。実際に生で観たらもっと迫力があるんじゃないかと思う。もしリバイバルを観る機会があれば皆さまにはお勧めする。