苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

いかにしてパレスチナは世界の世論を味方につけたのか、パレスチナプロパガンダの25年計画

本日見つけたジュ―イッシュジャーナルの記事、The Inside Story of How Palestinians Took Over the Worldが非常に興味深かったので読んでみたい。

これはどのようにパレスチナが世界中から被害者としての同情を買うに至ったか、25年に渡るパレスチナによるプロパガンダ作戦の話である。

最初からイスラエルとの平和共存を望んでいなかったアラブ側

アメリカ中の大学で起きている親パレスチナ・反イスラエル運動は突然にして草の根運動が実を結んだ結果ではない。著者のゲリー・ワクスラーは25年前に出席したとあるビジネス会議での出来事を振り返る。

それはオスロ合意の頃の話だ。ワクスラーはフォード基金(the Ford Foundation)に雇われ国内におけるマーケティング組織の創設を任されていた。フォードはイスラエルの庇護のもとにユダヤ系とアラブ系の組織双方に資金をだしており、リベラルな文明社会を作る努力をしていた。

フォードはゲリーとデボラ・ロンドンという若いイスラエル女性とを組ませた。彼女は現在はハマステロで壊滅状態にされたキビツ・ベエリ(Kibbutz Be'eri)の復興資金集めの責任者である。)

ゲリーとデボラはイスラエルの広告代理店やメディアや助成金を受けとる団体をインタビューした。彼らがユダヤ系団体をインタビューした時は、シモン・ぺレズの新しい中東が始まるという希望に満ちた雰囲気だった。これらの団体は皆ユダヤ人とパレスチナ人の平和共存の夢を興奮して語った。

しかしアラブ側の団体をインタビューした際に「平和」という言葉は一度も聞かれなかった。彼らが語ったのは独立、尊厳、自治、国家だった。ある女性は断固「共存」という言葉を拒否した。

「共存なんてあり得ません」と彼女は強調した。「我々はユダヤ人が所有する土地の賃貸者にすぎません。そんなの均衡のとれた共存なんかではありません。」

ゲリーはリベラルなユダヤ人の同僚に、ユダヤ人とアラブ人は全く違う別の話をしていると説明しようとした。ユダヤ人は「平和」の話をしている。だがアラブ人は「独立」の話をしているのだと。しかし数週間が過ぎるにつれ、ゲリーはアラブ団体はさらにもっと他のことを話していることに気付いた。

ゲリーがアラブ団体にテロリズムや協力や予算の話などをすると、相手は急にブレーキを踏んだ。そしてアラブ団体はどの団体も口を揃えて「その話はItijaaのアミール・マクフール(Ameer Makhoul)に聞いてくれというのだ。Itijaaというのはアラブ人権団体のことでアミール・マクフールはその取締役だった。それでゲリーにはマクフールはアラブのNGO全体に何かしら影響力をもっているらしいことが解った。

アミール・マクフールとの出会い

遂にデボラとゲリーはItijaaの事務所に出向いた。痩せた眼鏡をかけた若いアミール・マクフールが出て来た。

「君が色々質問して回ってるゲリー・ワクスラー君か。」そして彼は私が質問したすべての人の名前とその質問の内容を羅列し始めた。彼は我々を自分のオフィスに案内してから始めた。「ゲリー・ワクスラー君。君の質問に次のように答えよう。一つ、私の前に今座っているゲリー・ワクスラーは、ロサンゼルス市立大学に居た二年間、そこでイスラエルの活動家をやり大学新聞の編集もやっていた。君はKibbutz Ayelet Hashachar五年間夏のボランティアをやっていた。自分のマーケティング代理店であるパッションマーケティングで君は世界中のイスラエル界隈とイスラエル国内のクライアントにサービスを提供した。」

私にはこいつは危ない奴だと解った。

「そして今、ゲリーワクスラー」そう言って彼は座った。「はっきり答えよう」彼は私の目を見て言った。「君がシオニスト学生活動家であったように、私たちも今後パレスチナ学生活動をアメリカおよび全世界で作り上げる。シオニストのそれより大規模でより良い活動をだ。君がキビツで毎夏やったように、我々も大学生の夏を難民キャンプで過ごさせる。そして我々の人びとと一緒に働かせる。君が国際親イスラエル組織創設の一員であったように、我々も親パレスチナ組織を作り上げるのだ。君がPRキャンペーンやイスラエルのイベントの援助をしているように我々もやるのだ。だが我々の活動は君らの活動より注目を浴びるようになる。」

そういうと彼は再び立ち上がり私の目の前に立った。「どうやってそれが起きるか解るかね?どうやってそれを払うのか?今我々に支援している君らリベラルユダヤ組織からではないよ。 ヨーロッパユニオンからだ。アラブやモスリム政府や豊かなアラブ人や団体からだ。そのうち我々はユダヤ人からは一銭も貰わなくなる。」

そして彼は私にぐっと近づきこう言った。「どう思うかね?」

私は一息ついた。私はプロフェッショナルであり続けた。「別に。私はフォード財団の代理として、計画中のマーケティング研究所のための情報収集に来ただけですから」

彼はさらに近づいた。「私は君に、ゲリー・ワクスラー君が今私が言ったことをどう思うのかと聞いているのだよ。君、ゲリー・ワクスラーに」

今の状況が解っているだけに、このゲリーとアミールの会話は背筋が寒くなる思いだ。この詰め寄りに威圧感を持ったゲリーはデボラと一緒にその場を去った。

ところがその翌日なんとフォード基金のプログラムオフィスから電話があり、アミール・マクフールがゲリーから色々なシオニストプロパガンダを吹き撒かれ脅威を感じたと苦情が入ったと言われた。無論ゲリーはそれは嘘だと言ったが、プログラムオフィスはゲリーを色々問い詰めた。それでゲリーは前日に起きた会話を詳しく説明した。デボラも一緒に居たので彼女に聞いてくれと言った。そしてフォードはこれらのアラブ団体に資金を出すのは考えなおした方がいいとも伝えた。

ゲリーとデボラはマーケティング研究所を設立するために必要な提案書を書いたが、プログラムオフィサーは、非営利セクターを専門とする元学者だったが、企業が関わることの価値を理解できず、即座に却下した。数週間後、彼は二人に、この仕事を終わらせるためにNGOコンサルティング・チームを雇ったことを告げた。彼らは各組織に数時間のコンサルテーションを行うとのことだった。

その数年後、ゲリーはアミール・マクフールがシリアのスパイとしてイスラエルに逮捕されたことを知った。

成果を見せ始めたパレスチナプロパガンダ作戦

その後ゲリーはアミールの下地を敷いた作戦がどんどんと実を結んでいくのを目の当たりにした。拙ブログでも当時取り上げた第二インティファーダ初期の起きたモハメッド・アル・デゥーラ少年(12歳)の死は世界中の注目を集めた(後にモハメッド親子の死は実は完全なやらせで、二人とも健在だったことがわかっている)。またガザに近づいたトルコ船をイスラエル軍が襲撃し数人のパレスチナ活動家が殺された時も国際的大ニュースになった。

そして大学だ。世界中の大学でアパルトヘイト週間が作られイスラエルのボイコットを呼びかけるBDS、パレスチナ領や難民キャンプでのボランティア活動、ユダヤ系学生による反シオニストグループの創設などなど。

拙ブログでもパレスチナ国際連帯運動(ISM)が欧米中の大学で学生をリクルートしてガザに送り込んでパレスチナテロリストたちと行動を共にさせているという話を2006年に何度か紹介している。

ゲリーは自分の広告代理店で受賞歴のあるコピーライターやクリエイティブ・ディレクターとして、またUSCのコミュニケーション学部教授として大学キャンパスで行われている親パレスチナ活動の卓越性、スタイル、操作の共通点に気付いていた。

有色人種、特にBLMのような反ユダヤ主義的な黒人グループは、パレスチナ人と同調するために組織された。抑圧されていると見なされている人々を代表する多くの団体が、パレスチナ人を支持するようになった。さまざまな学生が動かされた。

ゲリーは自分自身の専門分野である言語の創造と伝達の共通点が、ユダヤ人に適用されているのがわかった。その多くは古い反ユダヤ的な表現であり、そこに新たな命が吹き込まれていた。これは私(カカシ)も何度となく指摘して来たDEI(多様性、平等、包括性)の概念やCRT(批判的人種理論)と根本は一緒だ。要するに社会は植民地主義の抑圧者と被抑圧者で成り立っており、抑圧者が世の中のすべての悪の元本と言う考え。ユダヤ人の半分はアラブやアフリカ系の有色人種なのに、何故か昔の植民地主義者である欧州の白人といっしょくたにされ抑圧者ということになり、イスラエルアパルトヘイトの国だという言説が飛び交う。

  • ユダヤ人は金融機関を独占している
  • ユダヤ人は資本家であり寄付者であることを中心と考える
  • ユダヤ人は自分らのことしか考えない
  • ユダヤ人は他者に与えた痛みに責任を負う必要がある

これらのどれに反対しても人種差別者だと汚名を着せられる。ただしユダヤ人差別は被抑圧者の味方として奨励される。

敵の作戦は見事な成功を遂げた。彼らは世界中に訓練の行き届いたコミュニケーション軍団を蔓延らせた。

イスラエルの作家で映画プロデューサー、そして元反ユダヤのノア・ティシビーは、イスラエルに対して抗議運動をしている学生、特にユダヤ系、は利用されていると語る。しかしゲリーは、これは利用されているなどという生易しいものではないと言う。彼らは単に利用されているのではない、改宗させられたのだと。多くのユダヤ人学生たちは元イスラエルサマーキャンプの体験者だ。彼らはシオニストプロパガンダによる犠牲者だと信じ込まされているのである。彼らこそアミール・マクフールが25年前ゲリーに披露した巧妙に練られた計画の犠牲者なのだ。

ユダヤ人はどう対抗すればいいのか

パレスチナ側の作戦がわかったからといって、では一体ユダヤ人はどうすればいいのか?

ゲリーはアメリカ各地でそれぞれ個別に創設された親イスラエルの団体は横の連帯に欠けると指摘する。それぞれの団体が個別にビルボードでメッセージを届けたりTikTokを使ったりしているが、どれもこれもパレスチナが広めた誤解をユダヤ側が解いていくという守りの作戦ばかりだ。相手の土俵で何時まで戦っていても拉致があかない。

ゲリーはそれぞれの団体が個別に運動をするのではなく、一つにまとまって今後の作戦を立てる必要があるという。アメリカのユダヤ人はイスラエルと協力して同じ方向に向かって進むべきであると言うのだ。すでにゲリーはここ数週間の間に200以上の団体から募金の要請を受けたという。しかしユダヤ系団体はまとまるどころかそれぞれ敵対すらしている。今はそんなことをやっている場合ではない。これまでのようなやり方では駄目なのだとゲリーは言う。

プロパガンダ戦争において、我々は敵から多くのことを学んでいる。私たちにも、アミール・マクフールやその仲間のような指導者が必要なのかもしれない。私たち全員が支持できるような指導者チームが、一歩前に出てくれるだろうか?

**ゲイリー・ウェクスラーは最近、イスラエル国立図書館から『ゲイリー・ウェクスラー・アーカイヴ』の創設という栄誉を受けた。これは、彼がアメリカ、カナダ、イスラエルユダヤ人団体のために制作した広告キャンペーンを通して語られるユダヤ人生活の20年の歴史である。

真に必要なのはDEIやCRTの駆除だ

私がアメリカ国内のユダヤ系団体に100%同情しない理由は、彼らもDEIやCRTに関しては少なからぬ責任を負っていることにある。例えばアメリカで最大のユダヤ系団体Anti Defermation League(ADL)などは近年反ユダヤ主義と戦うという当初の目的を忘れ、完全なる極左翼ポリコレ団体へと化してしまった。言論の自由を掲げるイーロン・マスクとマスクのXを破壊しようとするADLの戦いは記憶に新しい。

Ivyリーグと言われるエリート大学の大型寄付者のユダヤ人たちも同じだ。もう何年もこれらの大学であからさまな白人差別や東洋人差別が起きていたのを見て見ぬふりをしてきたのは彼らである。

だいたい私はユダヤ人は少数派だから特別扱いされるべきという考えそのもに問題があると思っている。差別は誰が誰にやってもいけないのであって、反ユダヤ主義だけが特別悪いわけではない。

確かにユダヤ人は過去に6百万人を殺されたという世界でもまれなジェノサイドの犠牲者である。しかし、そのことだけに集中すると結局は犠牲者精神が優先されるだけで誰が一番可哀そうな属性なのかという犠牲者オリンピックが起きるだけだ。はっきり言ってそれこそがアミールが使った手段なのだ。

必要なのはユダヤ人が団結して如何にユダヤ人が特別な属性であるかというアピールをすることではなく、人々を属性によって抑圧者と被抑圧者に分けるのを止めることだ。つまりDEIやCRTといった人種差別的教育をアメリカの学校教育から完全に撤廃することから始めるのだ。

そしてアメリカが今早急にしなければならないのは、アメリカ大学に侵入した多くのモスリム過激派学生を一掃することである。彼らが留学生ビサではいってきたのなら、さっさとそのビサを剥奪して祖国へ強制送還すべきである。アメリカ市民なら国内テロリズムの罪で何年かの実刑に処すべきである。

この戦争はすでにパレスチナイスラエルの問題ではなくなっている。西洋文明国とイスラム過激派との闘いとなったのだ。