苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

移住して良かったかどうかわからない説、その他雑記

海外移住して良かったですか?

数日前にXで誰かが海外移住した人たちに対して、海外移住して良かったこと悪かったことを教えてください、と書いているのをみかけた。色々な国に住む在外邦人が自分達の体験を書いていたが、私には全く答えられない質問だなと思った。単純に私は移住生活があまりにも長いからというのがその理由。

私はアメリカに移住して40年余り。最初にアメリカに来たのは19歳の時だ。一年のアメリカ生活で一旦帰国して休学していた専門学校を卒業して普通に就職。OLを一年やったがどうしてもアメリカで暮らしたくて二年後に再び渡米、それっきりアメリカ生活である。

私は生まれてから19年日本で生活したとはいうものの、その大半の時間を親の庇護のもとにまるで責任のない子供として暮らしていた。子供というのは衣食足りて親の愛情を受けて育てば大抵の場所で幸せに生きられる。親がどれだけやりくりに苦労していようと、どんな狭い家に住んで居ようと、そんなに気になるものではない。だから私は19歳まで幸せに暮らしていたし、特に生きにくいとか暮らし難いといった体験はしていない。日本と比べてアメリカは生活し安いかし難いかという話は、どちらでも生活してみなければ比較のしようがないが、私はアメリカでティーンエージャーだったことはないので、日本とアメリカでのティーンの生きやすさも生きにくさも比べようがないのだ。

同じように私は日本で責任ある社会人として暮らしたことがない。生きるための糧を稼いだこともない。何度も帰省はしているが、お客として訪れる国と暮らす国とでは違う。だから日本に数年腰を据えて住んでみないと移住生活が日本での生活より良いか悪いかなんて判断は出来ない。

ただ言えることは、私はアメリカに移住してから日本に帰りたいと思ったことはないということ。つまりアメリカって国は私の性にあっているということだろう。

ところで先日、反出産主義の人から海外移住と言う選択肢がなく日本で結婚出産を強いられた人がいると書いている人がいて、いや、そういう言い方は日本で結婚出産した女性たちに対して失礼だろうと思った。海外移住することが日本で専業主婦するより良い選択だという前提が間違っている。

もしかしたらこの人は海外へ移住した女性たちが皆キラキラな生活を送っているとでも思っているのだろうか?旅行で行くなら別だが暮らすとなればどこの国でもそれなりに苦労はある。あこがれてアメリカに来たが変なDV男と一緒になって黒人とのハーフの子供連れて日本へ帰ったり、共同親権なので日本へ帰れず別れた夫の家の近くに住んでいたり、バブルの頃に日本人男性相手のキャバクラに勤めて、どっかの社長の二号さんになった人もいた。バブル後ダンナは日本に帰国し彼女は捨てられたけど。

いやいや、別に移住して不幸になった人の話がしたいのではない。ただ移住と言う選択をしなかった人が不幸だという考えには賛成できないと言う話だ。

ごみのポイ捨てと戦うカカシ

以前に住んでいたところは周りが一戸建ての家ばかりだったので、家の前の道にゴミが落ちてるなんて家はなかった。それぞれの家の住人が庭や道の掃除をしていたせいだ。庭の手入れを疎かにしていると近所の人からやんわりと「芝刈り手伝いましょうか」と注意されたりするからだ。

しかしアパートに越してきてからは道にゴミが落ちてる場所があることに気付いた。しかも不思議なことにゴミが落ちてるところは限られているのだ。

このあたりはアパート街なので色々なアパートが連立しているが、団地のような四角い建物ではなく、それぞれの建物がユニークなデザインで正面から見ると大きな屋敷がいくつも並んでいるように見える。どこのアパートも管理がしっかりしているようで建物の前の道にゴミが落ちているところなどない。ただ一軒を除いては。

うちのアパートの隣で交差点の角にあるこのアパートは、他の建物と比べてかなりオンボロである。私が子どもだったらハロウィーンの日に肝試しでもしようかと思うくらいのみすぼらしさ。二階建てのこの古くさいアパートは店子も6軒くらいの小さな民家。近所の他のアパートと違ってオートロックの正面玄関がなく、それぞれの部屋のドアが道に直接向いている。建物の前庭の芝生はまるで手入れが行き届いておらず、一応短く刈ってはあるが水をやっていないので乾ききっている。そして何故かこのアパートの前の歩道がそこだけゴミだらけなのだ。

他人のアパートの前なので気にするなと言われたらそれまでなのだが、毎日散歩に出る度にそこを通り過ぎるので気になってしょうがない。ここで私は「割れた窓理論」を思い出した。建物の窓が割れているのにすぐに修理せずに放っておくと、他の窓を割る人間が現れ、いずれは建物全部の窓が割られてしまうという理論。つまり治安維持は小さな違法行為から取り締まらないとだんだんとエスカレートして治安が悪化してしまうという意味。そこで私は近所のポイ捨てを放っておいたら、周り中がゴミだらけになるのではないかと思い始めた。そう思ったら気になってしょうがない。それで先日私は意を決してレジ袋と軍手で武装して隣のビル前の歩道のゴミ拾いをした。すぐに袋がパンパンになってしまった。その後2~3日ポイ捨ては無かったが、昨日スナック菓子の袋が落ちていた。面倒くさいので放っておいたら今日はキャンディーバーの包み紙が落ちていた。しょうがないので、また拾って捨てた。どうやらこの道を通る人の何人かは、このアパートの前でゴミをポイ捨てしてもいいと思ってるようだ。

多分私は今後毎日ゴミ拾いをせざる負えないだろう。でも最初の日と違って落ちてるゴミは一つか二つなので通りすがりに拾って近くのゴミ箱に捨てるのはさほど苦痛ではない。それで近所の秩序が保たれるなら安いもんだ。

隣のアパートの前だけではなく、散歩の途中でゴミを見つけたら拾うようにしている。日本と違ってうちの近所にはゴミ箱がいたるところにあるので、それは特に大変な仕事ではない。しかしそうやっているうちに気付いたのはゴミが落ちている場所が結構決まっているということだ。バス停の周りとか、カフェの前とかなら話は解るのだが、特に周りに何もないにもかかわらず、同じ木の下に毎日コーヒーの紙コップが落ちていたり、お弁当の箱が落ちていたりするのだ。ということはこれをやっているのは同一人物だということだ。それにしてもどうしてすぐ傍にあるゴミ箱に捨てられないのか不思議でしょうがない。

近所のシニアセンターに入会

散歩中に目に留まったアダルトリクリエーションセンターという施設に行ってみたところ、なんと年間60ドルでジムの会員になれるとしってすぐ入会した。大したジムではないが、私のようなものには十分だ。エアロビクスやズンバのクラスもあるそうで、なんだか楽しみである。

おじいちゃんも入会させようかと思ったが、お爺ちゃんは行きたくないというので、かえってその方が私一人で気分転換にもなっていいかなと思っている。