苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

いかにトランスジェンダー活動家はゲイ権利運動、フェミニズム、メディア、そして議会を攻略し、そして勝ったか

2022年にも私はいかにしてトランス活動家が女性の地位を破壊するか、その手口を紹介 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)というエントリーで、トランスジェンダー活動家の視点から、彼等がどうやってフェミニスト団体を乗っ取っていったかという話を紹介したが、今回はOsamu@orpheonesqueJul 26, 2021さんがXで2021年に紹介した記事を再掲されていた。Osamuさんの許可を頂いたのでこちらで紹介させてもらおう。

Osamuさんが紹介してくれているのはこちらの書籍、「TRANS/gressive: How Transgender Activists Took on Gay Rights, Feminism, the Media & Congress… and Won! -- 「いかにトランスジェンダー活動家はゲイ権利運動、フェミニズム、メディア、そして議会を攻略し、そして勝ったか!」これ、陰謀論ではなく、奪取した側の物語。」(2017年発行)

著者はクイア理論についての著作もある、トランスアクティヴィストの Riki Wilchins 。冒頭の章は、女性だけの音楽フェスティバルとして有名だったミシガンウーミン音楽祭をトランス排除としてどのように抗議し、中止に追い込んだかの成功体験の叙述から始まる。(略)

最後まで勝利の凱歌なので、そ—の語りにのっかって読めば思わず高揚感が伝染するが、ここで語られていないが、別の当事者が伝える裏側の——しばしば暴力を伴う——話を思うと背筋が凍る。

このミシガンウーミン音楽祭(通称ミシフェスト)に関しては拙ブログでも2015年に紹介している。トランスジェンダー活動家(TRA)によるミシフェストへの嫌がらせは長期にわたって行われたが、時として器物破損などの暴力行為も行われた。これを自慢げに語るあたり、やっぱりTRAというのは女だけの催しを潰すことに快感を覚える変態男たちの集まりだということがわかる。

興味深いのは著者のキウィルキンズがアメリフェミニズムの「総本山」全米女性協会(National Organization for Women・NOW)に取り入る時に使った手段だ。ウィルキンズはフェミニスト達が女装男性を蔑視していることに気付き、意図的に男性的な恰好をし男性的にふるまって女性達との力関係を築いていった。

それで私(ウィルキンズ)は血の滴る赤い文字付の黒い*MenaceのTシャツを着た。私の髪は短かかったし全く化粧もせず、胸のある男が出来る精一杯の男に見えるようにした。(略)私は自分の傷や痛みを全てみせ、彼女等の罪悪感と良心に訴えた。そして我々の抱える問題は実は彼女たちの問題でもあると示した。

リッキー・ウィルキンズ

この写真だけだと女性に見えなくもないが、彼の講演動画観ると、この人は容貌も声も話し方もまるで男なので、単に胸があるというだけで男に見せるための努力など全く必要ない。もともと男だから当然だが。しかし彼の場合、最近の活動家のようなゴテゴテ化粧のピエロのようではない。

彼がNOWに取り入った方法は二つある。ひとつは元々リベラルがモットーとしている寛容や受容を持ち出す、トランスジェンダーを受け入れることは道徳的行為だと説得すること。そしてトランスジョセーたちもまた女性達と同じように家父長制の抑圧の被害者であると訴えることだった。

「方法2は、きわめて非従順的かつ、この上なく倒錯的なポストモダン的議論を構築すること、それによって、トランス包摂の問題を生み、そもそもプレゼンのようなものを余儀なくしていたパラダイムを掘り崩すことだた。方法2のほうがもっと楽しい。」 「この議論が勝ちに有効だったかは分からない。→

「しかし、私は彼女たちに、『ジェンダー・トラブル 』からそのままのJ. バトラーの8小節を歌い、4声のハーモニーをそこに組み込んだ —— 硬直したジェンダー体制は、す べ て の 女性、ゲイ、トランスジェンダーの人々、クロスドレッサーを、女々し少年を、レズビアンの女性を抑圧する…」

このやり方は成功をおさめ、1997年にはNOWがトランスセクシュアル及びトランスジェンダーを支援することを決議。「フェミニストジェンダーイシューとTのジェンダーシューを合体させたこの決議が後々、この種のもののモデルになっていく」

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ウィルキンズはその後もBDSMのコミュニティ、フリーセックス擁護団体、そして DSD (当時はIntersexの名)の団体をどんどん包括していく。

ジェンダーを専門に研究してきた人以外は、トランスジェンダリズムの台頭はせいぜいここ14~5年くらいだと思いがちだが、実はその下地はすでに1970年代から作られており、ウィルキンズのような精力的な活動かによって1990年代にはその確たる基盤ができていたのである。

1990年代、ジェンダー擁護は2つの源から驚くべきエネルギーを注入された:

精力的なトランスジェンダーの権利擁護運動の予期せぬ台頭と、ポストモダニズム、特にクィア理論による学界の驚くべき征服である。

この書籍が発行された2017年当時のウィルキンズのインタビュー記事には、なぜ彼がトランスジェンダー運動にフェミニズムやLGBやその他の団体を巻き込んだのかという動機が書かれている。

ウィルキンズは今やいくつもの組織の創設者や責任者であるが、彼が一番最初に創設したのがザ・トランスセクシュアル・メネス(The Transsexual *Menace)で彼は共同創設者だった。これは当時評判になった男性自認女性の殺人事件がきっかけとなり、国中のトランスジェンダー活動家を組織しトランスへの暴力に対抗しようというものだった。

彼女(ウィルキンズ)が共同設立した、トランスおよびジェンダー・バリアント(変異系)の人々の権利を保護する法律を推進するためのロビー活動団体GenderPACを率いるうちに、彼女はジェンダーを、トランスセクシュアルだけでなく、すべての人々に影響を与える問題だと考えるようになった。

「私は常にジェンダーの仕事をしていましたが、トランスという包装をしていました」とウィルキンズは言う。しかし、組織内の多くの人々は、トランスの人々だけに焦点を当てることを望んでいた。その意見の相違が、最終的に彼女がロビーを去ることになった。

ジェンダーは、特にクィア・コミュニティにおいて、多くの人々に影響を与えていると思います。そして、私たちは彼ら全員を受け入れる必要があると思います」と彼女は言った。「それはいつも人気があるわけではありません。人々はシンプルでわかりやすい、アイデンティティに基づいた運動を望んでいるのです」

しかし結局ウィルキンズがやったことはトランスジェンダー活動にフェミニストや同性愛者たちを受け入れたというより、こうした運動のなかにトランスジェンダリズムを無理やりねじ込んで乗っ取ってしまった言った方が正しい。

何故女性のためのフェミニスト運動が女装男たちの親衛隊となり下がったのか、何故同性愛者のプライドパレードがいつの間にか女装趣味の幼児性愛男たちの集まりになり、ゲイやレズたちが脇役になってしまったのか(イギリスではプライドパレードから追い出されたレズビアングループまであった)。

2017当時の彼はAdvocateという同性愛者向け雑誌のコラムで「トランスの人々に対する暴力や差別」そして職場での差別や「ホルモン治療の差し控えによるトランスの若者に対する医療虐待」についても書いていた。つまり彼は未成年者の性転換治療の推進者でもあったわけだ。

というわけだから現在彼がどんな活動をしているかといえば、言わずと知れた未成年の性転換推進運動である。最近の彼のリンクデンを見てみるとホワイトハウズや米国疾病予防管理センターCDCといった政府機関や、女性や健康の事務局、黒人やラテン系市民団体や慈善事業、といった団体で「研修やブリーフィングを行ったりパートナーシップを組んだりしている」という。恐ろしい~!

トランスジェンダリズムは昨日今日突然湧いてでたものではない。ウィルキンズのような人間が何十年も前から根回しをしてこつこつと築き上げてきたものなのだ。だから我々批判派がちょっとやそっとがんばったからといってすぐに打倒できるような代物ではないのだ。

こうしたことを知るうえでも、ウィルキンズの作品は一読の価値があるだろう。