昨日は三年前にアフガニスタン撤退の際に自爆テロの犠牲になった13人の兵士の三周忌だった。犠牲者の遺族から招待をうけドナルド・トランプ前大統領がアーリントン霊園で行われた追悼式に参列した。そこにはバイデン現大統領やハリス次期大統領候補の姿はどこにもなかった。
実は13人の米兵を含む民間人数百人の犠牲者を出した自爆テロは、事件数日前から犯人は特定されており、事件当日も狙撃は可能だったにもかかわらず狙撃許可がでなかったという証言がある。つまりこのテロは事前に防ぐことができたはずだったというのである。
本日は去年の3月に下院の公聴会で証言した元海兵隊狙撃兵タイラー・バーガスアンドリュース三等軍曹の証言をご紹介したいと思う。同軍曹はその自爆テロの爆発で自らも片腕と片足を失った。
2021年8月19日、タイラーのチームはカブールのハミッド・カーザイ空港アビーゲートに配置された。そこには大量の切羽詰まった民間人が避難を求めて殺到していた。次の数日間は現実離れしていたと2023年現在ウォールターリード医療センターの負傷兵病棟勤務するタイラーは語る。
「これから遭遇する地上での経験について、私たちは何も準備も出来ていなかった。それは大狂乱だったが、我々は次の最善のステップを見つけるために協力した」
アビーゲートに配置された海兵隊員たちは群衆のなかで青いアメリカのパスポートを持っている人たちを探していた。8月15日にタリバンがカブールを占拠した後、海兵隊のケニス・マッケンジーJr.将軍が中央司令部の司令官はタリバンのリーダーと交渉し米軍が避難中はカブールの空港警備を担当し市の他の地域はタリバンが担当すると合意を得ていた。それはつまり、何千というアフガン人やアメリカ人がタリバンが統括するいくつものチェックポイントを通過しなければハミッド・カーザイ空港のどのゲートにもたどり着けないことを意味した。
タイラーによれば、タリバンは海兵隊の位置から100メートルも離れていない距離で数えきれないほどのアフガン人を殺害したという。にもかかわらず海兵隊員はそれに何の応戦もできなかった。
「私たちの間には輸送コンテナしかなく、タリバンは検問所で私たちの監視下にある人々を日常的に殺害していた。「我々は残虐行為を指揮系統や情報資産に伝えたが、何も指示も得られなかった。」
国務省の職員は、空港に入ろうとする人々の手続きを監督していたが、緊急事態に対処できるような準備は全く整っていなかったという。米軍兵は24時間体制でゲートを守っていたが、国務長の職員は夜になると書類手続きを停止してしまい、地上の兵士たちには悪夢の状況だった。
実は政府は手続きの不可能なアフガン人たちの対応をしたがらなかったので、周辺の警備が非常に弱体化した。政府職員は兵士らに手続き不可能なアフガン人をタリバンの処刑者が待つ空港の外まで連れて行かせた。
アビーゲートの兵士たちは無防備で危険にさらされていたため、カブール空港合同任務部隊の司令官ファレル・サリバン海兵隊准将は8月25日にアビーゲートを閉鎖したいと考えていた。しかしクリストファー・ドナヒュー陸軍大将はイギリス軍の撤退が終るまでまだ時間がかかると言われたため8月27日まで開けておくことに決めた。
タイラーと彼のチームは自爆テロリストがアビーゲートで発火する前に居ることに気付いが、上層部が海兵隊員たちに狙撃の許可を与えなかったという。
8月22日、ISISとタリバンが河川で路肩爆弾の試験爆発を行っているのが観察された。これを上官に報告、翌日金と青色のカローラと緑色のマツダコンバータブルに乗った二人の人間を見張るようにとの命令が下った。
8月26日、アメリカ諜報部員はアメリカ兵たちに自爆テロリストがアビーゲート付近に居ると警告した。男は髭を綺麗に剃り黒いベストを着ており、初老の男と一緒に居ると伝えた。タイラーは容疑者が解っているならなぜ諜報部員が逮捕しないのかと聞くと、通報者を危険にさらすことはできないと言われたという。
8月26日の午前2時頃ゲート付近に怪しげな男が居るのが発見された。髭を綺麗にそり黒いベストを着てる若い男と中年の男が一緒に居た。男たちはその場ですぐには取り押さえられなかった。
この二人は午後12時から1時までの間にバーガスアンドリュース軍曹と別の軍曹らによって目撃された。群衆のなかで髭を剃った男は目立つ存在だった。若い男は不安げに群衆を見まわしていた。中年の男は黒いヒジャブを付けており顔をずっと覆っていた。この二人の行動は自爆テロリストのプロファイルにぴったり当てはまった。「これ以上深刻な状況はない」とタイラー。しかしタイラーが男たちの狙撃許可を要請すると上官から自分には許可する権限がないと言われたという。それでタイラーは隊長に現場に来てみてほしいと要請。しかし隊長の中佐はテロリスト容疑者を撃ってもいいかどうかわからないと言った。中佐は誰かに聞いてくると言ったがそのまま何の答えも帰ってこなかった。
「単純明快に、私たちは無視された。 私たちの専門知識は無視された。 撤退は大惨事だったと思う。 私たちの安全について誰も責任を取らなかった。説明責任の欠如は許しがたい。」
タイラーはこの証言をした時感情を抑えきれず言葉に詰まっていた。そうこうしているうちに容疑者達の姿は群衆のなかに消えてしまった。その後タイラーはアフガン通訳を探しに群衆のなかに入った。通訳の家族を待っている間に突然光とともに莫大な圧力を感じた。 数メートル離れた地面に投げ出されたにもかかわらず、彼には何が起こったかすぐにわかった。
私が目を開けたとき、目の間に死んだか意識のない海兵隊員が周り中に居た。何百人もの群衆が私の目の前からすぐに消え、私の体は100から150個のボールベアリングで壊滅的な傷を負った。
タイラーの右腕は粉々になっており使い物にならなかった。腹部は破れ血だらけだった。立ち上がろうにも出来ず意識がもうろうとしてきた時、チームのリーダーが彼の名を叫び呼んだ。リーダーはタイラーを引きずって安全な所へ運び、すぐに応急処置が行われた。
タイラー・バーガスアンドリューは、アビー・ゲートで死亡した13人の軍人を米国政府が裏切ったと感じていることを明らかにし、証言を終えた。「あの日殺された11人の海兵隊員、1人の水兵隊員、1人の兵士は、まだ政府から答えを得られていない。」と締めくくった。(参考資料:Wounded Abbey Gate Marine delivers powerful testimony to Congress (taskandpurpose.com)
バーガスアンドリュー軍曹の話をきくにつけ、バイデン大統領の無能ぶりには心底腹が立つ。そして軍隊にも自分が責任もって安全かつ速やかな撤退をする計画を立てることのできる人間が一人も居なかったということにも呆れる。これもバイデン政権が軍隊を強くすることよりも多様性だの包括性だのに力を入れて、きちんとした指導者を責任ある立場に配置しなかったことが影響している。
そして三年後の今、バイデン大統領も次期大統領候補のカマラ・ハリスも自分らの無能のために犠牲になった13人の兵士たちの三周忌を欠席。こんな人たちにアメリカの将来は任せられない。