あ~あ、ついに日本にもこの忌まわしい時が来てしまったか。日本でも同性婚を巡って既存の憲法が同性婚を禁じているかどうかを裁く裁判の第一審判決が明日行われるという。私はアメリカの同性婚裁判の頃からずっと口を酸っぱくして言ってきたが、同性婚は文明社会を破壊する。もし日本が欧米での間違いから学んでくれるのなら、どうか日本では同性婚を合法にしないでいただきたい。
同性婚推進者は常に「同性同士が結婚したからと言ってあなたがたの生活にどんな支障を来すと言うのか」と言い続けてきた。その時我々反対派は、同性婚を認めれば他の形の結婚も認めなければならなくなる、これはスリッパリースロープ(滑りやすい坂)だ。と反論してきた。スリッパリースロープとは日本風に言うなら「堰が切れたように」とでも意訳することができるだろうか。つまり一度堰が切れた後水がどっと流れ込んでくるように、一夫一婦制に例外を作ったら他のものもなだれ込んでくるという意味。当時の我々は同性婚を認めたら一夫多妻婚や近親婚といった違う形の結婚も認めざるおえなくなるのではないかと心配していた。しかし、実際に起きたのはトランスジェンダーの正常化というもっと悪質で危険なものだった。
アイルランドやカナダ住まいの邦人達から聞いた話では、トランス活動家は同性婚というLGB界隈の人々がほぼ全面的に同意できる法案に隠して性自認の許容に関する法律も通してしまったという。アメリカでも平等法に差別の対象にしてはならないという項目に性自認という項目がこっそり加えられ、その法律案が下院を通っている。同性婚とトランスジェンダーとどういう関係があるのか私にも理解できないのだが、同性婚の次はトランスジェンダーの正常化だということは、欧米の例を見ていれば明らかである。
さて、それでは日本版ハフポストに掲載された同性婚裁判の詳細から読んでみた。この裁判の争点は二つある。
これについては以前にも書いたので興味のある方はそちらを読んでいただきたいのだが、私は当時このように結論付けた。
原告側の主張は憲法にどう書かれていたとしても、当初の想定がどのようなものであったとしても、同性結婚を含まない解釈は時代おくれだから解釈を変えるべきなのだ、そうしないのは違憲なのだというもの。
しかしだったら何故同性婚推進者は憲法そのものが時代おくれなのだから憲法改正をすべきだと主張しないのだろうか?何故わざわざプレッツエルのように条文をねじ負けて解釈させようとするのか?
その答えは簡単だ。憲法改正となれば議会での議論が必要。そのためには一般国民の支持と理解も必要。多くの人が同性婚の是非について語り始めれば多くの人が反対意見にも耳を傾けることになり、ホモフォブ!レイシスト!と騒いでるだけでは国民を納得させることなど出来なくなるからだ。
同性婚推進者に確固たる理念があるならまだしも、単に「時代遅れだから」「欧米ではやってるから」というだけでは憲法改正は望めない。
その点訴訟をおこせば、同性婚の合法性を決めるのは裁判官だけ。リベラルな判事にかかれば国民の意志など完全無視であっという間に同性婚が合法になる。推進者たちの狙いはここにある。
同性婚の合法化によって性という定義があいまいになってしまった欧米の恐ろしい間違いから日本もぜひ学んでほしい。裁判による同性婚の合法化は反則だ。どうか裁判所は正しい判決を出してくれますように。