苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

リトルマーメイドや白雪姫など白人キャラを非白人が演じることへのバックラッシュは人種差別なのか?

先週末、ディズニーは1989年に公開された「リトルマーメイド」の実写版の短い予告を公開した。そこではじめて主役のアリエルを演じる黒人女優のハリー・ベイリーの姿と短い歌声が紹介された。するとほんの2~3日の間に不評数1.5百万という前代未聞の評価が集まるという驚くべき事態が生じた。私もハリー・ベイリーの配役には懐疑心を抱いていたとはいうものの、ここまでの不評は予測していなかった。これは大不評のアマゾンのLOTRを凌ぐ不評である。

ハリー・ベイリーがアリエルを演じることになったということは、もう一年以上前に発表があったので別に今更主役が黒人だということに驚いた人は居ないはず。では何故人々はこんなにも否定的な反応を示しているのだろうか?

私はこれは最近続いた白人役を非白人が演じるという過剰なポリコレ傾向への反発の表れではないかと考える。

二週間前に指輪物語三部作の前編としてアマゾンが公開したリングスオブパワー(指輪の力)がファンの間で非常に不評であるという話はしたが、アマゾン側はこの不評はひとえにエルフを含め数人の黒人俳優の起用への人種差別だとトールキンファンを責めた。一週間前に公開されたピノキオの実写版が非常な不評であることも、有名な青の妖精に丸坊主の黒人女優を起用したことへの人種差別だとディズニー側は視聴者を攻撃した。そして今はまだ制作中のディズニーの「白雪姫」実写版の主役を白人ではないラテン系の女優が演じるという話も加え、それに対する批判もすべて人種差別のせいにするつもりのようだ。

こうした背景のあるなか、リトルマーメイドの予告はポリコレ迎合に嫌気がさした視聴者の恰好の攻撃対象となってしまったのだ。もしこれが他の作品でも同じことが起きていただろう。若いハリー・ベイリーはそのはざまに立たされてはた迷惑も甚だしいといったところだろう。もしポリコレ批判が彼女への個人的な攻撃になってしまったなら、私は彼女に心から同情する。

しかし視聴者の不満は黒人やラテン系が主役を演じるということにあるのではない。視聴者の不満は、なぜ長年親しまれてきたキャラクターのイメージを故意に破壊するような配役をするのかという点にあるのだ。しかもこうした批判が人種差別だとされるのは白人役を非白人が演じる時だけだ。

たとえば2年前に公開されたアラジンの実写版で主役のジャスミン姫を演じたインド系の女優が半分白人であったというだけで、彼女の色が白すぎると左翼リベラルから批判されたことを「人種差別」だとディズニー側は責めたりしなかった。人種に拘るなら彼女が半分白人だということよりも、アラジンはアラブ王国の設定だから配役はインド系ではおかしいはずだという批判であるべき。他の俳優たちも全員アラブ系であるべきなのに、俳優たちが白人ではないというだけで他人種の配役に納得した左翼たちの人種差別ぶりには呆れる。

批判的人種論(CRT)などといって、学校では白人は生まれながらにして罪深い人種であり、白人こそが悪の根源と教えられている若者が、自分らが大切にしてきた白人キャラのイメージすら黒人に取って代わられることを考えたら、いったい我々の文化とは何なのだという気持ちになったとしても不思議はない。

視聴者たちは黒人が主役であることが気に食わない訳ではない。何十年も前から、エディー・マーフィーやデンゼル・ワシントンやウェスリー・スナイプやウィル・スミス主演の映画はヒットしている。最近ではオールブラックキャストのファンタジー映画ブラックパンサーが大ヒットした。つまり観客は主役が黒人だから嫌なのではなく、もともと人々が愛し親しんで来たキャラクターのイメージをポリコレを満たすためだけに壊して欲しくないという気持ちを訴えているに過ぎない。

マット・ウォルシも言っていたが、今後映画やテレビで俳優の人種は無視して誰が何を演じてもいいということにするならそれはそれでいい。だがもしそうなら、黒人役を白人が演じても絶対に文句を言わないでほしい。白人役を黒人が演じることに苦情を言うのが人種差別だというなら、黒人役を白人がやっても一切苦情を言わないでほしい。

だが、絶対にそんなことにならないのは我々は良く知っている。だからこそ、1.5百万の不評などという事態が生じるのだ。