苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

アメリカの大学がいかにしてオーウェルの「動物農場」になったのか

動物農場』(どうぶつのうじょう、原題: Animal Farm)は、1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説。『アニマル・ファーム』とある農場(「マナー農場」)の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとするが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描く。人間を豚や馬などの動物に見立てることにより、民主主義が全体主義権威主義へと陥る危険性、革命が独裁体制と専制政治によって裏切られ、革命以前よりも悪くなっていく過程を痛烈かつ寓話的に描いた物語であり、ロシア革命ソビエト連邦を理想の国とみなすような「ソビエト神話」への警鐘であった。ウィキペディアより

先日からいくつかアメリカの教育現場がどんどん反ユダヤ主義になっているという話をしているが、今回はTheHillに載せられたオピニオンピース、Opinion: How America’s college campuses became Orwell’s ‘Animal Farm’アメリカの大学がいかにしてオーウェルの「動物農場」になったのかを読んでみたい。著者はポール・R・モーア(Paul R. Moore)

1984」年の著者として有名なジョージ・オーウェルの「動物農場」では革命によって人間の農場主を追い出し豚たちが動物たちの代表として政権を握る。革命後の農場のモットーは「すべての動物は平等である」だった。ところが、豚たちは一旦自分らが権力を握るとだんだんとその権限を拡大したくなってくる。それで最初のスローガンも「すべての動物は平等だが、一部の動物はより平等だ」と変わっていく下りがある。この本は1984年とちがってすべて軽いコメディータッチで描かれているが、共産主義の偽善を描いたパロディーである。

モーアは最近のエリート大学の様子を見ていると、このパロディー同様「すべての言論は自由だが、一部の言論はより自由だ」と書き換えられるという。

ハーバード大学は今年12月7日、恒例のハヌカ行事である大型ミノーラ(燭台)をキャンパス敷地内に飾り、毎晩ひとつづつ灯を灯し始めた。ところが今年は飾ってあるミノーラを破損する学生が現れることを懸念し、毎晩灯をともした後ミノーラを隠すことにした。折も折、ハーバード大学のクローディン・ゲイ学長は下院議会で「ユダヤ差別の言論や威嚇は、罰則に価するため学校側は対処する」と証言したばかりであった。ミノーラを破損するような危険があると思うのなら、護衛を付けるなり監視カメラを増やすなりすべきなのに、反ユダヤの暴徒らの脅しに屈してミノーラを隠せと言うのである。

この「暴力を煽る結果になるから」という言い訳で、ハーバードはじめ、各地の大学で保守派講演者たちの言論が弾圧されてきた。こういうのを英語では「ヤジ者による否決」という。つまり批判が多く集まるのが怖いと言う理由で最初から言論を取り下げてしまうという行為だ。これなら「そんな講演をしたら暴力で阻止してやるぞ」という脅かしさえすればどんな言論も弾圧できるということになってしまう。

この間起きたKADOKAWAによるアビゲル・シュライアー著の翻訳版「あの子もトランスジェンダーになった」がトランスジェンダー活動家による出版社への暴力的脅迫が原因で土壇場で刊行中止になったのなどがその典型だ。

「ヤジ者による否決」が成功した例としてモーアはをあげると、2020年にフォーダム大学でおきた事件をあげている。これは大学のある中華系の学生が学校とは無関係の自分のインスタグラムに中国共産党による大学生大虐殺事件、天南門事件について「自由は強く武装した市民から始まる」と書き銃を持った自分の写真と一緒に投稿した。この学生の両親は中国から逃れて来た移民だった。しかし中国共産党から多額の寄付金をもらっていた同大学は、彼のインスタグラムに関して多数の苦情をもらったとし、学生を正式に調査。調査の結果、彼が誰も脅していないことが明らかになったにもかかわらず、学生は停学になり、一時登校も禁止され、学生会代表に謝罪文を書くことを強制した。フォーダム大学は学校の規則である「学生たちは自由に自分の立場を表現する権利がある、たとえそれが大学内や社会で問題となり反対意見を生み出すような考えであったとしても」に自ら違反したのである。

大学のFDRジレンマ。なぜ大学指導者たちは反ユダヤ主義に立ち向かえないのか

つぎに紹介するオピニオンピースは見出しの通りFDRジレンマというもの著者はMalcolm M. Feeley。著者はMalcolm M. Feeley。第二次世界大戦初期、実は時の大統領F・D・ルーズベルトは、ナチスドイツが行っているユダヤ民族浄化について諜報を得ていた。アウシュビッツ収容所へ続く線路を空爆すべきだというアドバイス儲けていた。しかしFDRはそれを拒否した。何故かというと、ヨーロッパでの戦争がユダヤ人を救う戦争になってしまう、よってアメリカ国民の支持を失う、のを恐れたからである。この戦争はあくまでもファシズム対フリーダムの戦いでなければならなかったからだ。

それで実際にはヨーロッパで何が起きているかを知っていたにもかかわらず、FDR政権はユダヤ人虐殺についての情報を隠ぺいした。

著者によれば現在アメリカ各地の大学のリーダーたちが学生や教授らによるあからさまな反ユダヤ主義運動に確固たる対応が出来ないのは、彼等自身が反ユダヤ主義だからというよりも、FDRが直面したのと同じジレンマが原因だという。

一方で反ユダヤ主義という人種差別を認めることは全ての差別に反対という学校の威厳に関わる。しかしもう一方でユダヤ人の肩をもつことは自分らがその地位に就くのを支持してくれた社会正義主義者たちを裏切ることになってしまう。

エリート大学での社会正義プログラムは自分らは弱者の味方だとする思想。以前にも書いたとおり、世の中には抑圧者(強者)と被抑圧者(弱者)が居るといういう考えで、弱者=被抑圧者という構図になる。イスラエルは国も豊かで軍隊も強い。よって彼等は抑圧者に違いないというわけだ。だからハマスによるテロですら「解放軍による抵抗」などという言葉に置き換えられてしまうのだ。

ハマステロリストを解放軍だの言って熱狂的に「川から海へ」などといって叫んでる若者の多くはそれがどの川と海なのか知らないそうだ。バークレー大学がおこなった世論調査では47%のパレスチナ支持者が川の名前を言えなかったり「どんな手を使っても」という言葉の意味を理解していなかったという。

キャンパス内で鍵十字の落書きをしたり、拉致されたユダヤ人たちのポスターを破ったりしてる連中は非常に無知だ。本当に10月7日の襲撃のことを全くしらなかったり、聞いていてもそれがイスラエルによるプロパガンダだとか、酷い人になると人質はイスラエルによって拉致されて隠されているのだとか、10月7日の犠牲者はイスラエル軍のヘリコプターによって射殺されたとかアホなことを言うのだ。怖いのはこの人たち、本気でこういう陰謀論を信じていることだ。

著者は大学の指導者たちは無論ハマスが何かを知っているし10月7日が何かも知っている。しかしそれでもこれまで自分らも推進してきた思想と相反することを言うわけにはいかない。例えばアメリカのキャンパスでは、もうだいぶ昔からBDSといってイスラエル商品やビジネスをボイコットしようという運動が人気を博している。そして学長たちもこうした運動に積極的に参加してきた。だからいくらハマスがテロ組織でも、ユダヤ人が被害者という構図でユダヤ人差別をする学生たちを糾弾できないのである。