苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

アガサ・クリスティーのオーディオブックを聴きまくった年末

年末色々手仕事をしながらアガサ・クリスティーのハルキュール・ポワロのミステリーをオーディオブックで聴いた。朗読はBBCのテレビシリーズでポワロ―の助手キャプテン・ヘイスティングスを演じたヒュー・フレージャー(Hugh Fraser)。残念ながら私が聞いた二つのブック(それぞれ6時間近かった!)にはヘイスティングスが登場しない。その代わり私があまり好きでないキャラクター、ミセス・オリバーが登場する。クリスティーは晩年ポワロ―に自分の分身ともいえるミセス・オリバーという女流推理小説作家を登場させるようになった。

実は今回色々オーディオブックを探している間、テレビシリーズでポワロを演じたデイビッド・スシェの朗読も少し聴いたのだが、なぜか本人の声なのに、しっくりこなかった。だがフレージャーの声はすごく耳触りがよく心地よく聴くことができた。特にフレージャーのスシェの声真似は完璧で本人かと思うほどだった。いや、それだけではない。

イギリスは日本よりも色々訛りがある。しかも訛りは地域だけでなく階級でも違う。だから一人で朗読する場合には登場人物の階級によって訛りを変えなければならない。クリスティーの小説は会話が多い、そして登場人物も非常に多い。ということはフレージャーは老若男女何人もの声と訛りを使い分けなければならない。まずポワロ―はベルギー人でフランス語訛りがある、ミセス・オリバーは上流階級の中高年女性、スコットランドヤードの警部はロンドン庶民層訛り、といったように。しかしフレージャーの声の使い分けは素晴らしく、誰が言ったのか名前を聞き逃しても声だけで誰なのかすぐにわかった。私はもうポワロ―は彼以外の声では聴きたくないと思ったほどだ。

さて、オーディオブックの感想はこれくらいにして、肝心の内容はどうだったのかということだが、私が聞いた2作、「ポワロ―のクリスマス」「第三の少女」は二つとも1970年代に書かれたもので、私の好きなヘイスティングスも出てこないしミス・レモンもほぼ登場しない。その代わりミセス・オリバーが登場する。私はこのキャラが全く好きではない。Mrs.オリバーはクリスティーの分身だからなのか、ヘイスティングスのようにちょっとお人よしで多少間が抜けているが誠実という面白いキャラクターではなく、頭は良いし機転も利くというあまり落ち度のないつまらないキャラクターになっている。はっきり言って彼女の存在は物語にあまり貢献していない気がする。

先ほども書いたがクリスティーの小説は往々にして会話が多い。いや、単に多いだけではない。無駄な会話が多すぎるのだ。私はコナン・ドイルシャーロック・ホームズが好きでこちらもオーディオブックをいくつも聴いたが、ホームズのブックはいつもだいたい一時間以内で聴き終わる。長いものでも二時間くらいだ。しかし話の内容はクリスティーと同じくらいある。この違いはひとえに会話のシーンの長さである。

私が無駄な会話が多いといった例として、ポワロ―の執事ジョージがミセス・オリバーから電話があり今夜いらしたいとおっしゃってますが、どうなさいますか、という会話で、「ああ、ちょうどいい、いらっしゃいと伝えなさい。それから濃いコーヒーを用意しておくように、きっとお疲れだろから」と答えるところがある。そしてその後のシーンでミセスオリバーがコーヒーをすすりながら「ああ、ちょうどいい濃さだわ」という。この会話は必要か?

いやいや、文脈が解らなければ必要かどうかなど解らないと言われてしまえばそれまでだ。しかし、誰が何を飲むかという話が小説のあちこちで出てくるのだ。例えばポワロ―の依頼人が部屋に入ってきたとしよう。ポワロ―はお茶をいかがですか、それともシェリーでしょうか、などと聞く。誰がなにを飲もうとどうでもいいではないか。お客が来たら執事がお茶を持ってくればいい。来客に飲み物を薦めるシーンは、それによって来客の人柄が顕著になるとか、来客のムードが表現されるとかでない限り必要ない。例えば来客が昼間からお酒を飲むとか、持ったティーカップが震えていたとか、出されたお茶をがぶ飲みしたとか。もちろん実社会ではお客が来たらお茶を出すというのはイギリスでは普通ホ週間なのだろう。だが、それが筋を進めるのに役にたたないのであれば、そういうシーンは省くべきである。

またポワロ―とミセス・オリバーはお互いに推理をしあって、あーでもない、こーでもないと話合う。しかしほとんどがくだらない推理であり、全くありそうもないことばかりで筋が進まない。もしこれがミセス・オリバーの何気ないアイデアが的を射ており、ポワロ―が「あ~、ミセス・オリバー、それですよ、それ!あなたは天才だ!」といってミセス・オリバーが「へ?私何か言った?」となるというならそれはそれでいいのだが、そういうことに全く繋がらない二人の会話が何度も何度も起きるのである。いい加減に先へ進め!と怒鳴りたくなってしまった。

それに比べてホームズの場合は、依頼人がやってくるとホームズは無駄な会話をせずにすぐに要件にはいる。無論ホームズとポワロ―とでは性格が違うから同じ私立探偵でも行動が違うのは当然だ。しかし私が思うにこの違いは作者のクリスティが女性でドイルが男性だからではないかと思う。女性は考えをどんどん言葉に出して会話をすることで色々と物を解決していくが、男性は余りひとに相談することはせず、一人で黙々と考えた末に行動に移す傾向がある。無論クリスティーは女性でもポワロ―は男性なのでポワロ―がやたらとおしゃべりをしたら不自然だ。だからミセス・オリバーという女性がクリスティーの考えを読者に伝えるために必要だとクリスティーは考えたのかもしれない。

実をいうと私はクリスティーの小説はさほど好きではない。特にミス・マープルは大嫌いである。ミス・マープルというキャラクターが好きになれないのだ。しかしポワロ―はBBCのテレビシリーズで好きになった。私はその理由はひとえに主人公を演じたデイビッド・スシェにあると思っていた。しかし原作を読んで(聴いて)わかったことは、この長ったらしい無駄の多い小説を一時間の完結ドラマに仕上げたドラマ化チームの功績である。そしてキャプテン・ヘイスティング、ミス・レモン、そしてジャップ警部らの絶妙な掛け合いも魅力的であった。今更ながらあのシリーズは傑作だったと思う。

最近のBBCはポリコレのメッセ―ジだの多様性だので全くつまらないドラマばかりになったが、ポワロ―が90年代に作られたことは幸運だったと思う。それが証拠にシリーズが後になるほど、話が間延びしてつまらなくなった。特にBBCからA&Eに代わってからは、ミセス・オリバーが登場して、最初このろの軽いノリがなくなって暗くなった感じがした。あれは必ずにも制作チームのせいではなく、クリスティーも晩年、若い頃より面白いものが書けなくなっていたのかもしれない。

さて、オーディオブックのポワロ―シリーズはまだたくさんあるので、家事をしながらでも聴くとしよう。