苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

日本も遂にセルフID国になってしまった。高裁の判決を徹底分析

昨晩日本で外性器手術なしで男から女への戸籍変更が認めらたという話をちょっとしたが、本日はこれが意味することについてもう少し深く掘り下げて考えてみたい。すでに特例法の五つの要件に関しては何度も書いてきたが、朝日新聞が票にしているので下記参照。

以前にも書いたように「未成年の子がいない」については戸籍変更前にもうけた子供を戸籍後に認知という卑怯な手段をとった男性により無意味なものにされている。また去年女性の生殖器摘出の義務も排除されたので、残っていたのは男性器の問題である。

朝日新聞

これに関する決定要旨を朝日新聞がまとめているので一つ一つ読んでみよう。強調はカカシ。

今回の家事審判では、2004年施行の性同一性障害GID)特例法が定める性別変更の5要件のうち、「変更する性別の性器に似た外観を備えている」(外観要件)の解釈が焦点となった。

 高裁決定はまず外観要件の目的について、公衆浴場など性器が他人の目に触れる場所で生じる「社会生活上の混乱の回避」にあるとして、正当性があると指摘した。

 だが特例法の施行後、医学的な検討を経て、手術が必要かは人によって異なるとされている点などを重視。性別変更には常に手術が必要と解釈すれば、意思に反して体を傷つけられる手術を受けるか、性別変更を断念するかという二者択一を迫ることになり、「過剰な制約で違憲の疑いがある」との判断を示した。

 その上で外観要件について「他人が見て特段の疑問を感じない状態であれば足りる」との解釈を示した。申立人は手術を受けていないが、ホルモン投与で女性的な体になっているとして外観要件を満たすとし、女性への変更を認めた。

俗にこういう理論を滑りやすい坂(スリッパリースロープ)という。特例法の精神は、性違和がひどく身体を異性に近づけることでその違和感が緩和されるという人のために、戸籍上の性別と外観が一致しない人が社会に溶け込めるように特別に配慮された法律であり、手術なしでも性違和の苦痛がない人のために作られた法律ではないのだ。

年齢制限や婚姻や子供のあるなしは、本人の戸籍変更のせいで回りに与える(特に配偶者や未成年の子供)が悪影響を受けないための安全弁であった。

私個人の見解として、私は昔から性別適合手術(SRS)が性同一性障害の治療法であるという考えに猜疑心を持っていた。SRSによる恐ろしい合併症や副反応を知るにつけ、何人もSRSなどという野蛮な手術は受けるべきではないと考えるようになった。しかしそれはそれ、これはこれである。

身体に悪いという点ではホルモン治療も同じである。SRSほどではないとはいえ、異性ホルモンが身体に与える弊害はすでによく知られている。そうなれば、そんな危険な治療を強制するのは非人道的で違憲であるという意見が出て来るのは必定だ。性違和も持たずホルモン治療もしていない髭面すね毛男が自分は女だと言い出す日はもうすぐ目前である。

高裁はさらに、特例法が出来た2003年当時と今とでは性同一性障害の治療に関する考え方が変わり、世界保健機関WHOの方針変更によりSRSは必ずしも必要ないとされていることから、身体に著しい侵襲を起こす可能性のある手術を強制するか、戸籍変更を諦めるかの二者択一を迫ることは違憲であるという判断を下している。(詳細配下参照)

外観要件が具体的に求めているもの

外観要件は4号規定(卵巣や精巣がないか、昨日を永続的に欠くことを求める「生殖不能条件」と異なり、変更する生徒「似た外観を備えている」と分限に幅がある。必ずしも他の性別の性器に似たものそのものが備わっていないと満たされないのではなく、外見が近いものなら足りる。

外観要件のあてはめについて

特例法が出来た2003年7月当時は、日本精神神経学会の定めた「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」に従い、第一段階として精神科領域の治療、第二段階として身体的治療のホルモン治療など、第三段階で性別適合手術をするという段階的治療の考え方がとられてきた。

しかしガイドラインの見直しで、06年以降は段階的治療の考え方がとられなくなり、性別適合手術がひつようかでゃ患者によって異なるとされるようになった。また世界保健機関のICD(国際疾患分類)第10回改訂版では「精神および行動の障害」に分類されていた性同一障害は、19年5月に承認された大1階改訂版で「性の健康に関する状態」に分類された。

これらを踏まえても性別適合手術が常に必要と解釈すると、手術を必要としない性同一性障害者に対し、1)憲法13条が保証する「自らの居に反して身体への侵襲を受けない自由」を放棄し、身体の侵襲を伴う手術を甘受する、2)性自認に従った法令上の扱いを受ける重要な法的利益を放棄し、性別変更を断念するーーとの二者択一を迫ることになる。

まずWHOの規定はあの悪名高いWPATHの方針に基づくもので、全く科学的根拠があるわけではない。だいたい性同一性障害の治療に必ずしもSRSが必要ないなら、何故未成年に無理矢理危険なホルモン治療をさせたり乳房除去をすることを奨励しているのか、WPATHのやることは矛盾だらけだ。

しかしそれは置いとくとして、GIDの治療として必ずしもSRSが必要ないというのであれば、外性器と戸籍の性は一致している人の戸籍変更こそ不自然ではないか?繰り返すが特例法はすでに手術を受けてしまった人が実社会で混乱を引き起こさないための特別な法律だったはず。心でどう思っていようとも見かけも戸籍の性も一致している人には必要のないものだ。いやかえって外性器と不一致な戸籍の方が混乱を招くだろう。

実際に考慮すべきこと

性同一性障害に当たる人は、性別変更の申し立てまでに変更後の性に合致した生活をし、継続してその性で生きる意思を持っている。そのような人が、性別変更が認められた後、他人にことさら生物学的な性が明らかになるような行動に出るとは考えがたい。

それを踏まえれば手術が行われているかに限らず、社会生活における通常の接触のなかで、他社を基準として、変更後の性別の性器と認識することに特段の疑問を感じないような状態であることを要し、それで足りると考えるのが相当だ。

ホルモン治療を継続的に受けることで性器の形状に変化が生じることは医学的に確認されており、外観要件をこう考えることには合理性がある。

性同一性障害者は通常、医学的な治療の過程でホルモン治療を受けているから、外観要件をこのように考えることは性別変更の審判を受けようとする人に過剰な制約を課すものではない。

呆れた。これが裁判官たるものの理解なのか?何と浅はかな!だいたい「変更後の性に合致した生活」ってなんだ?単に中年男が女装して「私は女よ」といいながら職場や近所の人からの白い目を気にせずに厚化粧してパンツが見えるようなミニスカートで歩き回ってることか?同僚女性が嫌がっているのに無理やり職場の女子トイレや更衣室を使う子とか?周りが気を使っていても心では冷笑されている生活のことか?

だいたいこの判事はGIDを名乗る人達がすべてが異性の通常の性愛を持っているとでも思っているのか?自分はレズビアンだと言い張る自称女の男はいくらもいる。そんな男が男性器を保持したままなら女性に性交を迫る可能性は大いにある。欧米諸国では自認女の男が女子刑務所に送られて女性受刑者を強姦させた例などいくらもある。それでよくも「ことさら生物学的な性が明らかになるような行動に出るとは考え難い」などとバカげたことが言えるな。

またホルモン治療に関しても、先に述べたように健康上の理由で受けられない人も多く、特例法で要件として課されているわけでもないので全く意味がない。

結論

申立人は性別適合手術をうけていないが、継続的に医師の診断に基づくホルモン治療をうけている。審判申し立てに際し、精神科医二人による診断とその後の別の医師による観察でも身体の女性化が認められている。が如何に要件に該当し、性別を変更する。

私も何度も指摘しているように精神科医による診断書など全く意味がない。最近は問診たったの15分で診断書を書く藪医者が自慢げに広告までだし、ユーチューブで宣伝しているくらいだ。外見が異性に見えるという判断も、金儲け主義の医者がいくらでもしてくれるだろう。

これまでの経緯をまとめると、特例法の第三項目「未成年の子供がいない」弾四項目「生殖機能がない」そして最後の第五項目「異性の外性器と類似したものを持つ」という三つの大事な項目が排除されたことになる。これによって日本では事実上自分が異性であると言いさえすれば戸籍の性別変更が出来るセルフID国家の仲間入りをしたことになる。

男性器付き戸籍女性が女湯に入ってくる日も近い

私は以前から戸籍上の女性を100%女性扱いしないのは差別だと言って来た。もし戸籍上は女性でも男性器のある人は女性が当たり前に受けている恩恵を受けられないとなれば、それは二種類の女性が存在するということになってしまい、女性のなかでも一級と二級女性がいるという概念を受け入れなければならなくなるからだ。

以前から手術要件を失くしたら男性器付きの「女性」が女湯に入ってくる危険性について松浦大悟氏なども指摘していた。しかしその話題が上る度にトランスジェンダー活動家(TRA)達はそんなことはない、それは反対派の取り越し苦労だと主張してきた。

日本では施設経営者が規則を決めているからとか、公衆浴場では厚生省が通知をだしているので大丈夫だという意見もある。

公衆浴場や旅館業の施設の共同浴室については、「公衆浴場における衛生等管理要領等について」(平成 12 年 12 月 15 日付け生衛発第 1811 号厚生省生活衛生局長通知)の別添2「公衆浴場における衛生等管理要領」及び別添3「旅館業に おける衛生等管理要領」において、「おおむね7歳以上の男女を混浴させないこと」などと定めています。

これらの要領でいう男女とは、風紀の観点から混浴禁止を定めている趣旨から、身体的な特徴をもって判断するものであり、浴場業及び旅館業の営業者は、例えば、体は男性、心は女性の者が女湯に入らないようにする必要があるものと考えていますので、都道府県、保健所設置市及び特別区におかれては、御了知の 上、貴管内の浴場業及び旅館業の営業者に対する周知や指導等について御配慮ををお願いいたします。

しかし身体は男性で心はもちろん戸籍は女性の人はどうなるのだ?戸籍を女性に変えた男性が浴場で男性器のあるなしで女湯にはいれないことを「差別だ」といって訴えたらどうなるのだ?厚生省はの通知は今回の判決以前にだされたものだが、厚生省にはどのくらいの権限があるのだろうか?

男女が身体で区別されているのは女湯やといれや更衣室だけではない。病院や刑務所などもそれらに入る。また私は決して同意していないが、就学や就職や採用の際に女子枠が設けられているところもある。すでにオリンピックでも問題になっている戸籍変更した男子の女子スポーツ参加はどうなるのだ?

今回の高裁判決はそうした様々な問題を全く考慮せず申し立て本人のみの状況をみて感情的に判断した浅はかな判決であったと思う。