全く残念なことなのだが、アリゾナ州の議会で通された「信仰の自由法案SB1062」が共和党のブルーアー知事によって拒否された。この法案は民間の業者が自分の信仰に反すると思われるサービスを拒否する権利があるかどうかを問う、というもので、信仰の自由をうたったものだったのだが、それが左翼リベラルたちによって同性愛者を差別する法案であると歪曲され、ブルーアー知事は同じ共和党内部からも圧力を受けて拒否権を行使したのである。 そもそもこの法案が提案されたというのも、花屋やケーキ屋や写真家たちが、自分らが賛同できない同性結婚式へのサービスを拒否して訴えられたことがきっかけとなっている。支持者たちは、これは特定の人への差別ではなく、人々が自由に信仰の自由を行使できることを保障するものだとしている。 反対派の言い分は、この法案は同性愛者のみならず、多くの差別を生み出すと主張。たとえば、イスラム教のタクシー運転手が女性一人の客を拒否するなど。 私は個人によるどのような差別も認められるべきだと考えている。人種差別や性差別は不道徳かもしれないが違法であるべきではない。その理由は、真の資本主義社会で自由競争が保障されていれば、個人による差別は市場が解決してくれると思うからである。 つまり、ひとつのケーキ屋が同性結婚式のウエディングケーキを拒否したら、隣にある別のケーキ屋へ行けばいいだけの話。同性結婚に批判的なケーキ屋がその町で経営を続けられるかどうかはその町の人々の判断に任せればいい。個人営業の経営は普通でも難しい。宗教的な差別を行使して商売がなりたつかどうかは場所によるだろう。 問題なのは、自由競争の無い公共の場での差別が横行した場合である。例えば前記のモスリムタクシー運転手の件だが、ミネソタ州のミネアポリスーセントポール空港ではサマリア出身のタクシー運転手らが信仰に反するという理由でお酒を持った客や犬ずれの客を乗車拒否するという事件が頻発した。空港の規則では、いかなる理由でも乗車拒否をした場合には列の一番後ろに並ぶことになっており、場合によっては運転手は二時間以上も待たされる。にもかかわらずモスリム運転手による乗車拒否はなくならない。モスリム運転手の数が少ない時はよかったのだが、近年何故かセントポール空港のモスリム運転手の数が激増。乗車拒否をされる客が増えて苦情殺到。困った空港は2007年、乗車拒否をした運転手の営業資格を二ヶ月から二年間差し止めるという厳しい規則を通した。このように消費者が他に選択の余地がない公共の場における差別は規制されてしかるべきである。 イギリスではモスリム店員がスーパーなどで豚肉や酒類を売るのを拒否する事件が相次いでいるが、これも本当の自由社会なら経営者はこの店員を首にする権利が保障されるべきだ。店員は自分の宗教が自由に行使できるモスリム専門店で働けばいい。 さて、話を同性愛運動に戻そう。今回は彼らの汚いキャンペーンにより法律は阻止されたが、そもそもこのような法律が議会で通ったということに焦点をあてるべきだ。同性婚にしろボーイスカウトの同性愛者入隊にしろ、カリフォルニア州のバスルームビルにしろ、近年の同性愛運動家による宗教迫害運動は目に余る。人口の2%にも満たない少数派が芸能界や教育界で幅を効かせればバックラッシが起きるのは当然だ。 この間のダックダイナスティーの件などは一般人による同性愛者運動家の強攻なやり過ぎに対する不満の現れと言える。ついこの間も私の同僚が「同性愛者なんてすべて消えてなくなればいい」と言うのを聞いてびっくりしてしまった。この人はつい最近まで同性結婚について割合寛容的な意見を持っていた人だからだ。このように過激派による強硬手段はかえって穏健派の怒りを買い、結果的には同性愛者たちにとって住みにくい社会を作り上げてしまうだろう。 このまま同性愛過激派が自分勝手な要望を横行させれば、今までは勝手にクイアーな生活をしている同性愛者のことなど「別にどうでもいい」と思っていた人々でさえ、「同性愛者など消えてなくなればいい」なんて言い出すようになってしまうのだ。 残念ながら同性愛過激派の運動は更に過激さを増すばかり。このまま行くと近いうちにきっとひどいことになるだろう。