最近フェミニストの間では大学構内で強姦が蔓延しているという神話がまことしやかにささやかれている。囁くというより喚かれているといった方が正しい。女子学生は大学在学中の四年間で強姦にあう可能性が20%以上もあるという似非調査が幅を利かせているのだ。実はこの調査は嘘八百というかものすごくひどい調査なのだが、ま、それはそれとして置いといて、女子生徒を強姦魔から守ろうと自衛教室を設けその効果について調査した大学がある。その結果、自衛は非常に役立つという結果が出た。ところが何故かフェミニストたちからは自衛を奨励するどころか批判する声の方が多く聞かれる。
ニューイングランドジャーナルオブメディスンに発表された調査によると、女子大生に性犯罪の兆しに気がつく訓練及び性的攻撃に抵抗する術に関する徹底した訓練を施したところ、次の年、この訓練を受けた女性は受けなかった女生徒に比べ46%近くも強姦にあう可能性が減ったというもの。 この訓練の中で一番効果があったのは、女生徒たちに性犯罪が起きる状況を避ける術を教えたこと。つまり、どういう状況が危険であり、どのように状況がエスカレートするのを防ぐかという知識を与えたことにある。
女性の人権向上を建前にしているフェミニストたちが何故この訓練に関して批判的なのかといえば、性犯罪防犯の責任をすべて女性に託しているということにある。襲われた時にどのように自分を守るかということを教えるのは、強姦は起きるものなので女性はそれに備えるべきという前提があり、男性に強姦をしないように教育するということが欠けているというものだ。これは病気に例えるなら、病原を取り除かずに病状だけを治療するようなものだというのだ。
こういうことを言う人に聞きたいのだが、じゃあ、あなた方は出かけるときに家の鍵をかけないのかと。
はっきり言ってだ、野蛮なイスラム社会じゃあるまいし、アメリカの大学に通っている男子学生が強姦が悪いことだと知らない訳はない。大学生にまでなって学校で「強姦は犯罪です。やってはいけません」なんて教えられなきゃ態度を改められないような人間は文明人の資格はない。そういう状況であえて強姦に及ぶような不道徳な人間にはそんな教育は意味がないだろう。
しかし、女性が自分の態度を改めて強姦を防ぐということは、強姦魔に「私ではなく、別の子を強姦してよ」という言うようなものであり、強姦を減らすことには役立たないという意見もある。だが、女子大生たちが自衛に非常な神経を払い自衛訓練なども受けていれば、大学構内における強姦の数を減らすことは出来るはずだ。「別の子」が居ないような学校になることに勤めればよいではないか、何故それがいけないのか?
フェミニストの言うことは洋の東西を問わず個性がない。これはずっと以前にカカシが出会った自衛は害あって益なしと唱えていた日本のフェミニストたちの言ってたことと全く同じである。 無論我々はフェミニストたちの建前を信じてはいけない。彼女達の本当の目的が女性を守ることにあるなどと間違った考えを持つと彼らの行動の意味が理解できくなる。だいたい現代フェミニストたちはフェミニズムより社会主義のファシストだ。彼女達の本当の目的は人々をコントロールすることにあるのだ。
社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。 アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。 左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。
学校側がどれだけ自己防衛教室などを設置しようと、フェミニストたちの学校批判は収まらない。彼女たちの目的は架空の強姦文化を推し進めることによるフェミニストのコントロールする学校体制をつくることにあるのだ。