本日、長年連れ添った夫が突然自分は女だと言い出し、トランスジェンダーとして生きることに付き合わされた妻たちの、いわゆるトランス未亡人たち、の証言を集めたBehind the looking glass (ビハインザルッキンググラス 鏡の裏側)というドキュメンタリーを観た。
これまで私は少しだけだが夫をトランスジェンダリズムに奪われた女性達の話は聞いていた。しかしこの一時間半に渡るドキュメンタリーを観て改めてこのトランスジェンダリズムが如何に残酷な虐待であるかを理解した。
これらの女性達の元夫たちに共通しているのは、彼らは所謂性同一性障害ではなく、オートガイネフィリア(AGP)という自分が女性化することで性的興奮を覚える人たちである。これは明らかな精神疾患だがGIDとは似て非なるものだ。前にも書いたがGIDの人は同性愛者が多く本気で自分の身体の部位に違和感を持っており、それを失くすことで違和感が多少なりとも緩和されるというもの。そして彼らは特に周りから肯定されることを望んでいない。
しかしAGPは必ず周りを巻き込む。どれだけ自分が男に見えるごつごつした体格でも先ずは妻に、そして子供たちに、そして周りの人間たちに自分の性自認を認めさせるのだ。周りが少しでも抵抗すると、抵抗する人が悪いという攻撃を執拗に続ける。
この女性達が口々に言うのは、自分が女だとカムアウトするまで男たちは妻たちを騙して来た。実際には女装癖があったにもかかわらず妻にはそれを隠して普通の男を装っていた。そしてある程度夫婦生活が長くなり子供も生まれ妻たちが容易には自立できないように妻を自分に依存させてからトランスジェンダーだとカウアウトする。
女性たちは青天の霹靂で混乱するが、ここで男たちは実は子供の頃から自分には性違和があったとか、昔から心は女だったとか言い出すのだ。一旦カムアウトすると、家のなかで女装をしたり、子供にまで「ママ」と呼ばせたり何もかも自分中心の生活を始める。
とあるモスリム女性は、モスリムでは男女の役割は非常にはっきりしているので、あなたが女だというなら今後は家事や育児を分担してくれるんですかと言うと、無論そんなことはしない。夫にとって大事なのは女装したり化粧したりすることで、女の振りをして遊ぶことだけなのだ。
残酷なのは妻たちは夫を失った喪失感だけでなく、自分の苦しみがあたかも悪いことであるかのように罪悪感を吹き込まれる。今の時代夫だけでなく周りも自分が夫のトランスに理解を示さないことを責める。女性達は孤独にさいなまれるのだ。
以前にも紹介したトランスジェンダーの父親に育てられた女性もこのドキュメンタリーに出演しているが彼女の言ったことが印象的だった。時々テレビなどで父親がトランスしたと言って妻子が出演している番組がある。妻も子供も男の性転換を応援しているようなひきつった笑顔をしているが、子供がそれを喜んでいるはずはないとこの女性は言う。子供は親に捨てられたら生きていけない。それにどんな親でも愛しているから、父親の性転換を認めなかったら愛情を拒絶され自分はひとりぼっちになってしまうかもという恐怖に震えているのだという。我が子にこんな思いをさせる父親ってあるだろうか。
女性達がこうした夫たちとすぐに別れられないのは、経済的な理由もあるし、自分ひとりで子供たちを育てられるだろうかという不安もあるからだ。そしてもしかしたら夫のトランスを認められない自分も悪いのではないかと疑心暗鬼になるからだ。
彼女達からのメッセージは、夫がトランスしたら、それは夫の身勝手なのであって妻たちには何の責任もない、早急に別れよ、そしてこれがどんなに理不尽なことであるか世界に訴えるべきだということ。夫のトランスを妻や子供が支える義理はない。夫はすでに妻子を捨てたも同然だからだ。
私はこれまでトランスジェンダリズムは悪だと考えて来たが、今日という今日はトランスジェンダリズムは究極の女子供への虐待だと怒りが収まらない。