苺畑より In the Strawberry Fields

苺畑カカシと申します。在米四十余年の帰化人です。

男性が女優の振りをするミュージカル「トゥッツィー」大爆笑

今日のお芝居紹介はミュージカル「トゥッツイーTootsie」。これは1982年公開のシドニー・ポラック監督、ダスティン・ホフマン主演の同名の映画のミュージカル化である。私はこの映画が凄く好きで何度も観たので結構筋は覚えている。ただ映画とミュージカルでは設定と筋はまあまあ一緒とはいうものの、映画と舞台では全く同じというわけにはいかないので多少の変更はあった。映画もコメディーだがミュージカルの方がもっとコメディータッチが強く非現実的なドタバタになっていて、ほぼ全編通じて大笑いした。ここまで笑わせてくれるコメディーを見たのは久しぶりだ。

さてではあらすじ。

***マイケル・ドーシーは実力舞台俳優として認められてはいるものの、演出を巡ってすぐに監督と喧嘩をする難しい俳優だという悪評があり、誰も彼を雇いたがらない。マイケルのエージェントも「誰もお前を雇わないよ」と断言。そこでマイケルは女装をしドロシー・マイケルとして新しいロミオとジュリエットミュージカルのオーディションを受ける。乳母の役柄のイメージとは全く違うにもかかわらず、彼の積極的な表現はプロデューサーを感心させ役を得る。

マイケルは持ち前の演出能力を発揮させて、つまらないミュージカルをどんどん面白く変えていく。しかしジュリエットを演じるジュリーを好きになってしまい、だんだんと自分が人々を騙していることに罪悪感を持ち始める。

そんななかマイケルの実力に感心したプロデューサーは今後2年間の専属契約をオファーするが、、*****

ごらんのとおり筋は非常に単純。面白いのはマイケルを始め個性的な登場人物たちとのやり取りである。とくにマイケルとルームメートで売れない劇作家のジェシーとの会話は傑作。映画と比べるとそれぞれのキャラクターが非常に大げさに表現されており、マイケルの女友達サンディーなどほぼずっと半狂乱状態なのが面白い。

ディレクターで振付師のロンの演出はハチャメチャで、振り付けもあり得ないほど馬鹿げているのだが、それを一生懸命に自分で踊ってみせるシーンは爆笑もの。

設定が男優であるマイケルが女装をするというものだが、全編通じてマイケルは女装しているわけではなく、シーンによって男装だったり女装だったりする。衣替えがしょっちゅうあるので映画のように念入りなメイクアップをしている暇はない。それで男装から女装になるのはパッド付のブラジャーをつけてドレスを着、鬘をかぶって口紅をつける程度の変装だ。だから彼が女性に見えるかどうかは主に彼の演技力にかかっている。そしてその演技力がすばらしかった。

動画のリンクはこちら

Tootsie

 

彼の女装は鬘とドレス程度のものだと言ったが、我々が最近見るトランスジェンダー自認の男達の女装とは雲泥の差があった。先ずドレスのセンスが凄く良い。彼は中年の女性を演じているので、品のある中年女性が着ていそうな無理のないドレス。そして彼のそぶりは不自然にくねくねとしておらず、年相応の普通の女性といった仕草なのだ。つまりドラアグクィーンのようなしぐさでは全くないということ。この役者は女性を非常に研究しているなと思った。

ところでこんな時代なので、このお芝居を公開するにあたってはトランスジェンダー界隈からクレームがついたらしい。ブロードウエイのポリコレぶりについてはこの間も書いた通り。でそのクレームというのは、男性が女装することで笑いを取るのはトランスジェンダージョセーに失礼だとかいうバカバカしいもの。

こちら2019年公開当時のOUTマガジンに載った批評。強調はカカシ。

ミュージカルは時代遅れ極まりない「ドレスを着た男」というコメディの定型に依存しており、これはトランス女性蔑視に深く根ざしている。ほぼ男性のみで構成された制作陣は、ドラァグジェンダーについて意味のある議論をまったく行っていない。すべてが目的達成の手段、この場合は笑いを取るための手段に過ぎない。彼らはジェンダーのニュアンスを探求する意思も能力も欠いているようだ――例えばマイケルがトランスジェンダーレズビアンだったら? ドロシーが単なる役作りのペルソナ以上の存在だったら? そうした議論を一切考慮しないばかりか、さらに悪いことに、ジェンダーアイデンティティについて議論すべきだという認識すら欠いているように見える。

これはコメディーだ!それ以上でもそれ以下でもない。そんなところにジェンダーアイデンティティーなんて持ち出したら話が臭くなる。なんで素直にコメディーを楽しめないのだ?

この先ネタバレあり

しかしこの批評のなかで私がひとつだけ同意できるところがあった。それはマイケルは周りの人間、特に自分が恋をしているジュリー、を騙していたにもかかわらず、彼が実は男だったと白状した後で、ジュリーがマイケルを許したような終わり方になっているのが納得いかないと言う点。

これは映画でもそうだったが、私は当時からこの終わり方は不満だった。ジュリーはドロシーが女性だと思っていたから打ち明けた秘密があった。その信頼関係をマイケルは破壊したのだ。そんな人を好きになれるだろうか?

自分が男か女かという人間にとって根本的なアイデンティティーを偽っている人を心から信頼することは難しい。

ま、コメディーだからそこまで深刻に考えなくてもいいというのはある。

ところでこのOUTの批評が指摘するように、このミュージカルは非常に古い型のコメディーだ。やはり男性が女装する設定の「お熱いのがお好き」のような雰囲気がある。しかしオールドファッションではあるが、いつの時代にも共通するお笑いというものはある。このミュージカルはそういう点で成功している。